昨日の講演会で、初めてこういう表現をしました。

それが、タイトルです。



息子の体験があったから、いつもより強い言葉になって、出てきたんだと思うんです。




べきべき。

普通にすべき。

ちゃんとすべき。



そこに馴染めないものが、疎外されてく世の中。



どうしてこんなことが起き続けるんだろう?




どうして戦争は一向に終わらないんだろう?




どうして子供たちの間にはいじめがなくならないんだろう?




どうして私たちはどんな性格の人とも愛し合うことができないんだろう?






あなたが、誰かを理解できないのだとしたら

それはあなたが自分の一部を殺してしまっているからです。




あなたが、誰かを嫌いなら

それはあなたが自分の一部を殺してしまっているからです。




人は自分を殺した分量と同じだけ

他人を殺してしまうのだと思います。





それが大きくは戦争です。


それが小さくはいじめです。



元々は全て繋がっていて

自分に何をしてるか、だと思います。




人は自分を傷つけた分

人を傷つけたくなるんでしょう。



だから、世の中を憂う前に

やっぱりわたしはわたしを愛し切りたい。



わたしを愛し切ることが

誰かへの許しになり

世界を許すことになるから。



生きていて

許されないって苦しい。


それは命の殺害だと思います。




許されないって

実際には殺されてないけれど

心は殺されたと同じなんです。



それ、自分で自分にやってます。



自分の心を日々、殺してるんです。



それをやってる人が

他人を裁きます。




自分と同じように

人の心を殺します。




心の戦争です。


心の殺し合いです。




遠くの戦地と

私たちの心は同じです。





わたしは自分をもう殺したくない。


それは

誰かをもう殺したくないから。





生まれてきてくれた全ての命が

輝いて生きられる世の中が見たいから

わたしは今日も自分を大切に生きる。



あなたを殺すことなんて

もう二度としたくないだけなんだよ。



あなたは

わたし。




わたしは

あなた。







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