今月からしばらく、パンの販売を休止します。

やっぱり、心が喜ばないことは、もうしないです。


パン作り。

24歳の時に、始めました。

わたしは会社勤めをしてたんです。
医療器具の営業マンでした。
会社の仕事にまったく喜びを見いだせず、ただただ「石の上にも3年」と思い続けていました。

ちょうど3年目に突入したころ、ある夜
すっごい疲れているのに眠れないってことがあったんです。

母が不眠タイプだったので、睡眠薬を常時持っていて
「寝られへんのやったら、これ飲み」って、一錠の半分を勧めてくれました。

半錠飲んで、しばらく雑誌を眺めていたときに

唐突に「パンをやろう!」か「パンをやりなさい」的なお告げだったのか
しっかり覚えてはいなのですが、そういうことが起こったんです。

今から思うと、薬が効いてきてのシータ波とかになっていたんだと思う。
シータ波って脳波のことね。
リラックスのα波よりさらに低い波動で、ひらめきとか瞑想とかのそういう状態。

思えば、初めてスピ的にいうと「メッセージ」を受け取った状態だったのです。

その頃、わたしパンなんて焼いてなかったです。
その半年前くらいに、大失恋して
ふらっと入った本屋さんでパンつくりの本を買って、数回焼いたことのある程度でした。
別にハマってもなかった。

なのに、なんでパン?

で、流せばいいのに、流れていかなかったの、その思い。

親に話し、会社に話し
一週間後には会社をやめる決意を固めていました(笑)
おかしいね。

今でもわからない。
あのときの自分のエネルギー。

それから、すてきなパンの先生に出会い
会社もやめることができ
昼間はパンの勉強と、喫茶店でパンを焼く仕事を見つけ
夜は北新地の割烹店でアルバイトという生活を始めました。

それが24歳のときでした。



あれが、自分の道にすっと乗っかった瞬間でした。

そこからわたしの人生はスピードアップしたの。

アルバイトで入った割烹店で夫と出会い
一年もしないうちに結婚。
そこから怒涛の子育て。

そして、大阪から朽木への移住。

パン屋を始めたのは、34歳?35歳?

なんでかわからないけど、それなりの人気パン屋になったの。



大きな転機は五男がお腹に入ったこと。

お店の建築と重なり
大きな借金のうえに、いろんな試練に見舞われた。

そんなとき、スピを知ったんです。

最初は天使な世界。救われたなぁ~。

その頃かな、わたしの周りからすーっといなくなる人たちが出てきたの。

今ならわかるよ。
わたし、すぐに走りすぎるから、怖くなっちゃうんだろうね。

「変化していくこと」=「嫌われる」という図式がわたしの中に生まれた。

それでもパンは続けていた。

いろんな人から言われた言葉が、わたしに呪いのように効いていた。

「パンだけは続けてね。」
「パンは続けたほうがいいよ。」



だから、産後一番初めに再開したのも、やっぱりパンで。

でも生後半年の子供を抱えながらしていたパン屋の仕事は、思いのほかしんどかったの。







ちゃみの森をオープンさせるために、たくさんのお金が必要だったし

わたしにとって確実にお金になる仕事がパンであったし

それに、何よりパンを焼くことが好き「だったはず」なので、迷いはなかった。

でも、つらかった。

しんどかった。

その声は無視していた。



だけどね、やっぱりジェムリンガ使い出したら、もう
そういうことできなくなってくるね~。

今でもわたしの収入の三分の一を占めるパンのお仕事を手放すことは
躊躇あるし

何より、以前いろんな人から言われた
「パンだけは…」みたいな言葉を呪いのように受け取っていた事実に気づいたから

でも、もう嘘つけないんだよね。

嘘ついて、いいことないの、ホント心からわかってるから。

だからね、いったん手放してみる。

決めました。

決めてから、今日、初めてパンこねてみた。



もう、焼きたいときにしか、焼かない。

パンと和解していこう♪