わたしが今回

次男の卒業式に関して一連の流れを書いたのは

何も学校批判をしたいからではありません。


学校の先生たちは、

最後息子が想いをぶつけたことで

すべて受け取ってくださり

息子の想いを叶えてくれました。


歯噛みしたいような悔しさがあったことと思います。


だけど、大きな心で

受け入れてくれました。




子供に対して

まだ幼いから、わからないからと

一人前の対応をしないことが、間違っていたのだと思います。


子供だから


わからない未熟な存在なのだから


教えなきゃ

導かなきゃ

抑えつけなきゃ


そういう思いで接したことが、間違いだったのです。


元々は大好きだったわけです。


希望に満ち満ちて

学校生活を送っていたのですから。


だけど、なんどかそういう心の裏切りを感じてしまって

信じられなくなっただけなのです。




大人だって間違います。


だから、この世に生まれてまだ間もない子供たちの行動を


どうかもっと大きな目で見守っていきませんか?



わたしも間違いだらけです。


でも、いつも子供たちは

そんなわたしを許してくれました。



次男は卒業式を終えて


「嫌だったこと、全部消えた。」と言ってました。



恨んでいたわけじゃないのです。


嫌いになったわけじゃないのです。


ただ

卒業式のこの日まで

想いを外に出せなかったというだけのこと。



それを最後に受け入れてくださった先生の懐に

本当に感謝しているんです。


えらそうですが

先生もすごく大きな学びをされたと思います。


もちろん私もすごく学びました。



子供はそういう大人にある不必要な枠に


気づかせてくれる


そんな大きくて豊かで自然で


ゆるやかであたたかで無垢な


そんな大きな存在であること。



そして、わたしたちも元々はそうだったということを


忘れないでいきませんか?



感情に蓋して

そのせいで人を責めるのをやめませんか?


思ったことを言えずに

内側で発酵させていくのをやめませんか?


したくないことをして

自分の才能を殺していくのをやめませんか?


大好きな人に大好きと言わずに

うじうじするのもやめませんか?


恥をかくのを怖がって

本当の思いを隠してしまうのやめませんか?


人目を気にして

自分らしく生きない選択をやめませんか?


本音はかっこわるすぎるから

正当っぽい違う言葉で自分を語るのをやめませんか?


一緒にやめていきましょうよ。


わたしは

どんどんやめたいです。