ヨガ商人の弁明
TOKYOYOGAは、現在もヨガスタジオ運営を続けています。僕も、地震があった翌々日から、クラスを再開しています。
僕のこの決定に対して、「不謹慎」とみる方も、いらっしゃるでしょう。そうなのかも、しれません。本当に被災してらっしゃる方々の、本当のリアリティは、僕にはわからない。
僕があーだこーだ言われることは、慣れてもいるので気にしませんが(少し嘘)、僕の考えに賛同して、というより「私たち、いまだからスタジオを開きたいです。」と、自主的にスタジオ運営を続けているスタッフ達が、なんやかんや言われるのはたまらないので、いつもは「読んでね」なんて実は思ってないけど、今日のブログは、批判的な人にこそ、本気で読んでほしいと思う。
・・・・・・・・・・・
僕は2000年に、カズって友達に誘われて、旅に出ました。3ヵ月で、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと回って、またタイに戻る旅でした。戻ったタイでアシュタンガヨガと出逢い、しばらくして、僕はヨガを生業にすることを決めました。
旅の一番の目的は、カンボジアの小学校に、ノートとペンを配ることでした。
僕とカズは、バンコックで買いまくったノートとペンを、大きなバックパックに詰め込んで、タイから陸路でカンボジアに入りました。国境には、銃をもったたくさんの軍人の方々がいました。
多くの貧しい国では、国のレベルで援助が行われたとしても、そのお金などが、普通の市民まで、適切に届くことは、僕たちが思っているよりも、難しいことのようです。少なくとも、当時はそうだと感じていました。
どこかで、誰かが、だいたいは偉かったり強かったりする位置の人たちが、余計にとったり、奪ってしまうのです。
カンボジアの、アンコールワットにほど近いシェムリアップという街で、僕たちは、幾つかの学校でノートとペンを配りました。
「日本から来てくれたお兄さん達が、ノートとペンをくれますよ」
たぶんそんな感じで先生が呼びかけると、ちょっとしたセレモニーになって、子ども達が集まって、並んで、僕たちは、ひとりひとりに配っていく。
嬉しそうな子どももいるし、そうでもなさそうな子どももいる。一番嬉しそうな顔をしていたのは、僕とカズだったのかもしれない。
あんまり嬉しそうな顔じゃない子どもたちに、声をかける。カンボジアは、地雷で多くの被害をだし、その影響を今でも受ける国。脚を吹き飛ばされて松葉杖を巧みに使う子どもたちも、集まってくる。
「なにしにきたの?」
「俺たちが本当に必要なのは、お金なんだよ。」
小学校の先生にも、同じようなことを言われた。
その時一緒に行動してて、ずっとボランティアで地雷の除去作業をし続け、地雷博物館を運営するアキラ(カンボジア人、アキラの話は、また書こう)にも、遠まわしに何度か言われた。
残りの旅路で、僕はその「事実」を、前よりは少しリアルに、考え続けた。
旅から帰って。
カズは義足を作る学校に行った。
僕は、ヨガのビジネスをはじめた。
いまはヨガの先生ぶっているけれど、最初はヨガマットとかの販売から始めたんだ。
教えようが、売ろうが、ヨガを通して、誰かが健康になって、その対価としてのお金と笑顔が、どこかでいい感じで回っていけるなら、僕はなんでもいい。
僕らができることは、単純に、
そういうことなんだ。
東日本大災害、わたしたちの対応について
株式会社TYGを通した義援金は、ジャパンプラットフォームに送ることにしました。
また日本赤十字社でもWEBからの義援金を受け付けています。
クレジットカードがあれば、5分くらいで簡単にできます。
上記のような団体への義援金は、税務的に「寄付金控除(税控除)の対象」となり、法人については、ジャパンプラットフォームジャパンに関しては認定NPO法人としての優遇処置がとられ、日本赤十字社の場合全額損金扱いとなるようです。
※この辺りは専門家ではないので、会計事務所からきた連絡の受け売りです。詳しいことは、ジャパンプラットフォームの場合とか上記日本赤十字社のHPや、国税局のHPをみてください。
「もっといい方法がある」という人は、アイデアをください。僕達に続けられる範囲で、またさらに考えます。僕が大事だと思っているのは『いまだけじゃなくって、』ってことです。
TYGでクラスを担当するヨガインストラクターには、交通機関が許しスタジオにこれた人達1人1人に、「報酬の一部を義援金にする提案」について今井が声をかけていますが、断った人は1人もいないと聞いています。
僕のこの決定に対して、「不謹慎」とみる方も、いらっしゃるでしょう。そうなのかも、しれません。本当に被災してらっしゃる方々の、本当のリアリティは、僕にはわからない。
僕があーだこーだ言われることは、慣れてもいるので気にしませんが(少し嘘)、僕の考えに賛同して、というより「私たち、いまだからスタジオを開きたいです。」と、自主的にスタジオ運営を続けているスタッフ達が、なんやかんや言われるのはたまらないので、いつもは「読んでね」なんて実は思ってないけど、今日のブログは、批判的な人にこそ、本気で読んでほしいと思う。
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僕は2000年に、カズって友達に誘われて、旅に出ました。3ヵ月で、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと回って、またタイに戻る旅でした。戻ったタイでアシュタンガヨガと出逢い、しばらくして、僕はヨガを生業にすることを決めました。
旅の一番の目的は、カンボジアの小学校に、ノートとペンを配ることでした。
僕とカズは、バンコックで買いまくったノートとペンを、大きなバックパックに詰め込んで、タイから陸路でカンボジアに入りました。国境には、銃をもったたくさんの軍人の方々がいました。
多くの貧しい国では、国のレベルで援助が行われたとしても、そのお金などが、普通の市民まで、適切に届くことは、僕たちが思っているよりも、難しいことのようです。少なくとも、当時はそうだと感じていました。
どこかで、誰かが、だいたいは偉かったり強かったりする位置の人たちが、余計にとったり、奪ってしまうのです。
カンボジアの、アンコールワットにほど近いシェムリアップという街で、僕たちは、幾つかの学校でノートとペンを配りました。
「日本から来てくれたお兄さん達が、ノートとペンをくれますよ」
たぶんそんな感じで先生が呼びかけると、ちょっとしたセレモニーになって、子ども達が集まって、並んで、僕たちは、ひとりひとりに配っていく。
嬉しそうな子どももいるし、そうでもなさそうな子どももいる。一番嬉しそうな顔をしていたのは、僕とカズだったのかもしれない。
あんまり嬉しそうな顔じゃない子どもたちに、声をかける。カンボジアは、地雷で多くの被害をだし、その影響を今でも受ける国。脚を吹き飛ばされて松葉杖を巧みに使う子どもたちも、集まってくる。
「なにしにきたの?」
「俺たちが本当に必要なのは、お金なんだよ。」
小学校の先生にも、同じようなことを言われた。
その時一緒に行動してて、ずっとボランティアで地雷の除去作業をし続け、地雷博物館を運営するアキラ(カンボジア人、アキラの話は、また書こう)にも、遠まわしに何度か言われた。
残りの旅路で、僕はその「事実」を、前よりは少しリアルに、考え続けた。
旅から帰って。
カズは義足を作る学校に行った。
僕は、ヨガのビジネスをはじめた。
いまはヨガの先生ぶっているけれど、最初はヨガマットとかの販売から始めたんだ。
教えようが、売ろうが、ヨガを通して、誰かが健康になって、その対価としてのお金と笑顔が、どこかでいい感じで回っていけるなら、僕はなんでもいい。
僕らができることは、単純に、
そういうことなんだ。
東日本大災害、わたしたちの対応について
株式会社TYGを通した義援金は、ジャパンプラットフォームに送ることにしました。
また日本赤十字社でもWEBからの義援金を受け付けています。
クレジットカードがあれば、5分くらいで簡単にできます。
上記のような団体への義援金は、税務的に「寄付金控除(税控除)の対象」となり、法人については、ジャパンプラットフォームジャパンに関しては認定NPO法人としての優遇処置がとられ、日本赤十字社の場合全額損金扱いとなるようです。
※この辺りは専門家ではないので、会計事務所からきた連絡の受け売りです。詳しいことは、ジャパンプラットフォームの場合とか上記日本赤十字社のHPや、国税局のHPをみてください。
「もっといい方法がある」という人は、アイデアをください。僕達に続けられる範囲で、またさらに考えます。僕が大事だと思っているのは『いまだけじゃなくって、』ってことです。
TYGでクラスを担当するヨガインストラクターには、交通機関が許しスタジオにこれた人達1人1人に、「報酬の一部を義援金にする提案」について今井が声をかけていますが、断った人は1人もいないと聞いています。