スペシャリストから、ジェネラリストへ(中山洋平:エクラデジュール) | Cercle des Chefs セルクル・デ・シェフ

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Vol.7 スペシャリストから、
       「ジェネラリスト」へ


 

「 いつも来ても、食べたいお菓子がある。」


東京の主要エリアを手中に収めながら、下町情緒にあふれる街 江東区東陽町-
2014年9月、ここ東陽町には初となる本格パティスリー「エクラデジュール」がオープン。
日多くのスイーツファンが足繁く通い、この半年でその存在はすでに街のランドマークとなった。


わずが半年で 自身の店を繁盛店へと成長させた オーナーシェフ中山洋平氏が、
職人技を越えたゼロからの店づくりと、そこに注ぎ混んだ熱い想いを語る。


 


-昨年の9月にオープンしてもうすぐ半年が経ちますね。
中山シェフ、その後いつも大変お忙しそうです。今日もお客さんが絶えなくて、、お忙しいなかお時間頂きありがとうございます。


いえ、こちらこそ、お忙しいなかありがとうございます。


-セルクルのこのクローズアップ改め「STORY×STORY」も中山シェフで7回目なんですが、今回はこれまでとは少し色を変えて、パティシエならおそらくみんな気になるであろう「どうやって独立したのか」だったり「新規店舗オープンのノウハウ」というのを、結構細かく具体的に(笑)聞きたいんですね。
あの、わりと根掘り葉掘り聞きたいんですけど、、いいですか?笑


もちろんです。笑  
僕なんかでよければ、答えられることは何でも答えますよ。参考になるかどうかわかりませんが。


 

-ありがとうございます。でも本当に、「独立すること」ってこの業界に入りたての修業中のパティシエだって漠然とイメージはすることでしょうし、ある程度キャリアを積んできたパティシエはみんな気になることだと思うんです。
今日は、あの、結構リアルな感じになりますが(笑)、どうぞよろしくお願い致します。

 

お願いします。笑


 

 


直感を大事に。基礎を固めた修業時代

 

-このセルクルの取材をするにあたって、経歴を事前に教えていただきましたが、
専門学校を卒業したあと、都内町場のパティスリーに1年半、、ここでは基礎を身に着けたという感じですか?



そうですね。ここでは作ることと同じくらい、販売の仕事もしました。
同期が3人いたんですけど。その3人で週替わりで販売を担当するんです。
販売、
つまり外の仕事がいかに大事かということをこの時期に実感できたことは大きかったですね。


-それは同感です。販売=外の仕事=営業だと思っているんですが、外のことも把握しておくことはとても大事ですね。
それで、その後ホテル日航東京に5年。。中山シェフはホテル系なんですね。なぜホテルへ?


 

やっぱり、大きな組織に移って、コンクールにも挑戦したかったんですよね。
町場とホテルの仕事は全然違いますが、町場、ホテル、どちらがいい悪いではなくて、仕事の幅が広がりました。


-そうですね、コンクールは、やはりホテルにいるほうが出場しやすい環境ですね。
2003年にジャパンケーキショー大型工芸部門で、連合会会長賞、、ですか、あ・でもこれって、
優勝ですよね(笑)。


 

はい(笑)


-すごいですね。笑 さらっと優勝してますね。いえ、努力はされたと思うんですが。
これ、日航時代ですよね?結構練習したんですか?


 

いや、それがね、これも結構ぶっつけ本番的な感じで挑んだんです。
もともと、考えることよりも、その時々の直感に頼ったほうが結果良いものが残せたりするんです。
もちろん、作品のテーマは設定しましたが、建設的なことは「やりながら」組み立てていって、、


-天才肌ですね。


いやぁ、そんなこともないですけど。直感を頼ったときのほうが、いい結果が出ることが多かったんです。
いまもそうなんですけど、思えばこのころからそうでしたね。


-そして、青山ミクサージュ(現在閉店)で2年、ここは立ち上げもされて、2008年に渡仏。オートサヴォアの「パトリック・シュヴァロ」で1年、あ、ここですね、マイナス20度の中っての修業というのは。


 

う(笑)ここは街で唯一のパティスリーだったんですよ。それもアッパー層が集まるスキーリゾート地でしょ?もんのすごく忙しいんですよ。フランス人パティシエも逃げ出す程過酷で有名で。笑  でも、ここは思い出深いですね。ラボの外から雪景色を見ながらみんなでカフェ(休憩)するんです。あれは贅沢な時間でした。食事も、サヴォア地方のラクレットは本当に美味しくてね。地方で最初の1年過ごせたことは貴重でした。

 

-その後パリへ。


はい。アルノーデルモンテルで1年半、ヴィエノワズリーのシェフをしました。タルト部門が弱かったので、その強化を頼まれたりして。商品開発も活発に行いましたし、ポジションを一つ任されることは大きかったです。責任感もありますし、やりがいもありますよね。


-合計2年半のフランス修業だったんですね。

 

そうですね、VISAが切れたということもあしますし、30歳までに帰国して日本でシェフをやりたいという自分の中での目標があって。
2010年8月に帰国しました。




未来予定表に独立する時期を書き込んでいました


 

-日付入りのノート未来日記を書いていたんですか!意識高いですね。
たとえば、○年○月に独立する、とかですよね?

 

そう、まあ漠然とですけど。帰国した2010年8月時点で、すでにその未来日記からは2年の遅れがあって。
でも、自分で自分を奮い立たせるという意味でも有効的でしたね。

 

-それで、銀座菓楽でシェフパティシエを1年。ここではパティスリー部門の立て直し、スタッフの教育などもされて。お菓子教室もここでされてたんですね。

 

そうなんです。ここでは数字の管理はしていなくて、好きなことを好きなように出来ました。
それとそのお教室でいらしてた生徒さんは、いまうちのお客さんとしても通ってくださっているんですよ。有難いですよね。お菓子を作ってるだけではなくて、こうやって外にも出ることで得られること、お客さんのつながりだったり。そういうことも、本当に貴重です。

 

-そして、京橋ルエールサンクで2年半、シェフパティシエを。
なんか、青山とか銀座とか京橋とか、都心のラグジュアリーエリアが多いですね。
あ、でも繋がってきました。中山さんのお店を見ていて感じるセンスは、こういった都心の一等地で磨いてこられたセンスも大いにありますね。



そうですか?いやぁ嬉しいですけど。
でもルエールサンクでは、本当に良い経験ができました。
声を掛けてもらって入社したんですけど、なんとなくそのまま付いていくのが嫌で(笑)
30種類くらいケーキを提案してプレゼンして、実際に僕のお菓子を見てもらって、最終判断してもらいました。
それで迎え入れてもらって。

 

-やりますねぇ。

 

ウエディングにも力を入れていたので、実際に婚礼のお客様と打ち合わせをしてウエディングケーキの提案をしたり。

 

-それって、普通のホテルや結婚式場ではプランナーの仕事ですけど、そういったこともされてたんですね。最初に働いた町場のパティスリーの販売仕事が、なんだか中山シェフのパティシエ感をよく表していますね。パティシエ仕事は、作るだけじゃないっていうこと。


そうですね~。ルエールサンクでは数字の管理もすべて任してもらっていて。1軒の運営をそのまましている感じでした。
パワーポイント使って資料作って提案、報告、なんてザラでした。
それにお客様に企業が多かったことも、なんていうか、町のお菓子屋さんではなかなか経験できないことですよね。


 



「独立は自然なこと。」 両親の背中を追って

 

実家がパン屋だったんですよ。

-「ナカヤ」ですね。ここ東陽町からも車ですぐのお隣エリア、砂町ではとても有名な老舗人気ベーカリーですね。
お兄様が継がれてらっしゃるんですね。
ナカヤのあんぱんはとにかく有名で、わたしも一度食べてみたくてソワソワしています。笑
独立はいつから意識していたんですか。


 

お菓子業界に入ったときからですね。実家がパン屋を経営していて、しかも母方の実家は蕎麦屋をしていたんですよ。だから自分の店をやることは自然な流れでしたね。

 

-なるほど。商売屋さんのお生まれなら、そうだと思います。


でも、目指していた独立時期よりは結構遅くなっちゃいました。
いまとなってはあまり関係ないですけど。ルエールサンクのシェフをしていたころから、物件はなんとなく探していました。それで、出会っちゃったんですよ、この物件に。笑

 

-出会っちゃったんですね。笑 でも、いい物件ですよね。
車も止めやすいし、なにより正方形の土地は使い勝手も良いですし。駅近、目の前は集合住宅、裏は市役所。
最高だと思います。


 

でしょう?ここだ!って思いました。
だから、この物件に出会ったのが1月。その段階でルエールサンクには独立のため退職したいということを伝えました。
そこで引継ぎとか、いろいろあったので実際上がったのは半年後の6月でした。

 

-あ・そうだったんですか。その半年間、よくこの物件抑えられましたね。




 

とにかくここは人気物件で。他にもコンビニやチェーン飲食店などの申し込みがあったみたいです。
でも、オーナーさんが僕を選んでくれたのも、嬉しかったですね。「こういうお店に入ってもらいたい」って、僕の経歴書を見ながら話してくれました。
だから、この物件が出てきたのが1月、それで契約をしたのが3月。ルエールサンクを退社したのが6月。工事を始めたのが7月。契約した3月から工事着工までの7月までの4か月間、家賃をゼロにしてくれたことも、大変有難かったですね。

 

-家賃4か月分は大きいですよね。中山さん、持ってますねぇ。

 

持ってると思います。笑


-(笑)
それで、ここからどんどん踏み込んでいきたいんですが(笑)独立準備中、大変一番大変なだったことはズバリ、なんででしょうか。



資金調達です(笑)


-はい(笑) いや、そうなんですよね。おそらくそこが、一番みなさん知りたくても聞けないところだと思います。ので、聞いていいですか(笑)


はい(笑)








これまでの経験が、本当に役立った瞬間でした。

 

-まず店舗オープンにあたってかかった費用はどのくらいだったんでしょうか。



まず、自己資金は500万円でした。

そして、残り3000万円を信用金庫から融資してもらいました。区の補助制度を使ったので、いわゆる公庫ですね。



-補助制度ということは、審査もありますよね?スムーズに進みましたか?



ここでルエールサンクでの仕事ぶりが本当に役立ちました。
まず、事業計画書。これはは自分で作りました。5年、10年見据えた内容を紙にして。。
すぐ作れましたよ、さすがにこれはやり慣れていたので。




-いいですね~。これ、お菓子しか作って来なかったら最初にぶつかる壁ですもん。
誰かに頼むのもアリですが、ここが自分で出来てスムーズに進むと早いですね。



うですね。その事業計画書を持って区の役員と何回か面談しました。
それで、ダメ出しされては手直しして、を何度か繰り替えして、実質3週間ですかね、OKもらうのにかかったのは。



-それで、3,500万円揃いました、で、その内訳ってどのように使ったんですか?
踏み込んですみません。笑


 

いえ、大丈夫です。笑
内外装費に1,500万円、機材に1,500万円。
残りの500万円を運転資金にしました。その500万円の更に細かいところでいうと、たとえば広告宣伝費だったり、包材費だったり。





 


-あの、レセプションはわたしも駆けつけたんですが、


あのときは、ありがとうございました。


-いえ、それで、オープン時ってバタバタですよね。でも中山さんのこのエクラデジュールのオープン時に思ったことは、「完成度が高い」だったんです。


ほんとですか?

-お世辞じゃないですよ。笑 わたしも新規店舗開店は経験がありますが、
どうしても職人が自力で作りあげたお店は、商品はそろっても、たとえばプライスカードやお店のポップ、つまり広告宣伝だったり、そういったところまでなかなか意識は回っても追いつかないことって多々あると思うんですが。中山シェフのお店はとにかくすべてが「きちんと」していて。誰か専門のデザイナーでも付いているのかなって思ったくらいでした。



まじですか。ありがとうございます。あ、でも確かに、内装に関してはね、義理の兄がデザイナーをしていて。義兄に空間デザインをお願いしました。


-なるほど。身内にそういった方がいらっしゃるのは強いですねぇ。やっぱり、持ってますね。笑


恵まれてます。笑
でも、とにかくイメージを伝えました。細かく細かく。そのイメージを忠実に具現化してくれて。義兄には感謝しています。

 

-素敵な空間ですよね。入ってすぐショーケースではなく、お店の中央にあるこの商品棚だったり。お客さんとして訪れても、やっぱり心地良い空間です。

 

生れ育ったこの街以外、考えませんでした

 

-東陽町に来るのはこれが3回目です。

なんだか、来るたびに新しい街の顔を発見するような気がしていて、今日はこのお昼休みの時間帯だからか、近隣のオフィスからものすごい数のワーカーが出てきて。あ・そうか、ここはビジネス街でもあるんだって。

 

そうなんです。この東陽町という街は、住宅街でもあって、オフィス街でもあるんです。裏には区役所があるし、1日を通して多くの人が出入りする街で。 住民は、3世代が多くいるんですよ。


 

-確かに、若者、子育て世代、中年層、シニア層、お店に来るお客さんだけを見ていてもそれがよく分かります。それだったら、色々なお菓子ができるんじゃないですか?

そうですね。シニア層は、ショートケーキだったりロールケーキだったりザ・日本の洋菓子的なものを好む一方で、クラシックなサヴァランだったりオペラだったりするものを買っていくことも多いですね。
中年層は、どちらもですよ。若者はアレンジの強いものをどんどん試してくれますし、子育て世代はそれこそアルコールを使用していない、食べやすいお菓子を求めてる。

 

-ショーケースを見ても、そのすべての方たちが喜んでくれそうなお菓子がバランス良く並んでいますよね。ぜんぜん特色の違うお菓子なんですが、喧嘩することなく、うまいこと「中山ナイズ」されて 配置されています。




やっぱり、その街々にあったカラーをお店に反映させることは大事だと思うんです。もちろん「自分流」は大事ですが、受け入れてもらうには そのカラーも踏まえてお店づくり、お菓子づくりをすることが大事かなって思っています。




-お店の場所は、東陽町以外で 考えなかったんですか?




考えませんでした。東陽町一筋。生まれ育った街なので、この街以外は思い浮かびませんでした。



-中山シェフの経歴からすると、銀座あたりもイメージできるんですが。そういった都心でやることへの憧れはあったりすんですか?



憧れ、といった感覚はないんです。
東陽町の人たちは買い物へ行くときは日本橋や銀座へ出ることが多いんですよ。ほら、どちらもとても近いので。
だからこそまずはここ東陽町で。でも、将来的に銀座にアンテナショップは考えたりしますね。

 

-銀座は家賃も高いですが、たとえば百貨店さんとか?

 

百貨店はいまのところ違いますね。基本的に路面店です。
だって、7坪あればお店はできますよね。銀座の平均、坪4万だったとしても7坪で家賃は28万。それなら1日10万売れればお店としてはやっていけるでしょう。


-素早い計算ですね。そしてやっぱり営業脳だ。笑
確かに複数店舗を持つことは、人もお金も流れが良くなりますよね。是非実現させてください。




 


スタッフにはガラス貼り。それが「信頼」の証です。


 

-いまは、スタッフは製造は3名、販売は3名でまわしてらっしゃるんですね。



はい。うちは比較的若い子達が多いです。
秋のオープンから年末まで商品が追い付かなくて、スタッフを長い時間拘束してしまったんですけど、、。


-それはこの業界、どこも一緒ですよね。生産性や効率を求めない、本当に美味しいものを作ろうとしたら致し方ないといえば致し方ない。でもこれからの時代、それではダメなんですよね。どのようにクリアしたんですか?


ボーナスを出したり、たとえば食事に連れていったり。モチベーションのコントロールに努めました。でも、本当に頑張ってくれてるんですよ。みんな若いんですが、本当によくやってくれています。


-スタッフの仕事の仕方を見れば、オーナーとスタッフの信頼関係が分かると思うんです。やっぱり応えてくれている、ということはきちんとした信頼関係あってこそだと思うんですが。

 

うちは、スタッフ全員にはお金のことやお店のこと、すべて伝えています。いわゆるガラス貼り。
それが僕の信頼の気持ちの表し方のひとつでもあるんです。そうするとね、頑張ってくれます。この店をもっともっと良くしたいと思ってくれるんです。



-信頼されてると思えれば、モチベーションもあがります。


そうだと思います。それに、やっぱり自分もそうですけど、「モノだけ作れる人」はこれからの時代とくに、どこの企業も雇わないでしょう。
僕は前職でモノ作りだけではなく店の運営から経営ノウハウ、沢山のことをやらせてもらいました。うちの子たちにも、そういったことを身に着けてあげたいんです。大きく育てたい。そう思っています。






誰に対しても、目指すのは 「正直な商売」。



-まだ1年目といえば1年目ですが、幸先の良いスタートだったと思うんです。わたしのような同業が見ても(笑)あ、これ買いたいなて思える商品に溢れているんです。偉そうですけど、でも同業だといろいろなことがわかるじゃないですか。商品を見てもお店を見ても。


そうですよね。いえ、でもそう言ってもらえることはとても嬉しいです。


-生菓子を見ると、すべてがボリューミーで贅沢な仕上がりで。それでいて値段も意外にお手頃だったり。それに包材もとても立派ですよね。

うち、原価30%が平均なんですよ。
しかも、包材も力を入れてるので、20%かけてます。



-足して50%ですか!すごいですね。それで、大丈夫なんですか?笑

 



大丈夫、です。笑 お客様の満足ためにはこれくらいはしたいんですよ。
そのためには勿論しっかり売らないといけませんが。でもこうやってたくさんの方が買いに来てくださって、本当有り難いことなんです。



-いえ、でもそれもそれのはずですよね、、見て分かりますよ。笑
でも、たとえばお菓子屋さんだと、これが売れると利益が出やすい、出にくいってあると思うんですが、そういったことも配慮して、商品のカテゴリー分けをしたりしてるんでしょうか。

 


「元を取る商品」は意図的にはやっていません。
そりゃ 焼き菓子と生菓子の原価率はもちろん全然違いますが、そこはあまり意識していません。
だって、それはバレちゃうでしょうお客さんにも。





 
-わたしたちみたいなアルチザン(職人)仕事をしているパティスリーは基本的に、そのすべてがそういった商品、つまりはすべてが手間暇かけて、、言ってみれば効率性よりも中身を重視した商品なんですが、でもそこを断言できるのはすごいですね。
例えばマカロンは、多くのはお店はいわゆる「売りたい商品」だったりしますよね。


マカロンも、違いますね。結構リッチですよ。笑




-あとで購入します。笑


 


ありがとうございます。笑



泥まみれで頑張ること、それが信条です



-ここまでお話を聞いてきて思ったことが3つあります。
それは、抜群のセンスの良さ、職人脳/営業脳のバランスの良さ、そして抜群に強運であること。この3つです。


 

いやぁ、恐縮ですね。


-独立は職人にとって、ひとつの目標であり夢でもあります。それを達成した今、次に目指すことはなんですか。また、エクラデジュールオーナーシェフ中山洋平として感じる使命、また信条を教えてください。



家族や先輩方、後輩仲間たちがこれまで僕にしてくれたことをエクラデジュールを通して、まずは自分のスタッフ、部下たちにそのまましてあげることが、いまの僕が果たすべき使命だと思っています。信条は、泥まみれで頑張ることですね。
独立は、ゴールではなくスタートラインですから。




- 今日は中山シェフの経歴から、ここに至るまでの道のり、そして開店時のノウハウなど具体的にお話いただきましたが、最後に これから独立する、また独立したいと考えている若いパティシエに、なにかアドバイスするとしたら、どんなメッセージを送りますか?



そうですね..。オープンまでに、これから起こうる色々なことを想定して、準備をすることが大切だと思います。
それは作ること以外にも、自分のやりたいことに対してのマーケティングや、営業力なども 菓子屋として磨くことが大事だなと思うんです。すべてのことにアンテナをはることは、これからの時代、とくに大切だと感じるんです。




- 今日中山シェフとお話していて、シェフが菓子職人という「スペシャリスト」から、エクラデジュール・オーナーシェフという「ジェネラリスト」へと道を極めてこられた経緯、そしてそこにこめる想いがよく分かりました。



自分もまだまだですよ。でも だからこそ、頑張ります!



- 今日はお忙しいところ、、中山シェフの意外な♡お話もいろいろ伺えて、たのしかったです。
   今後とも、セルクル共々どうぞよろしくお願いいたします。あ、焼き菓子購入していきますね。
  本当に、今日は ありがとうございました!

 

 

 





 

Éclat des Jours エクラデジュール


江東区東陽4-8-21
03-6666-6151

東西線「東陽町」駅 徒歩4分











写真・取材 : 藤森 もも子 / セルクル・デ・シェフ