間と余韻の妙 『エマ』 | 春昼閑話

間と余韻の妙 『エマ』

エマ

私は、日曜の夜になると「世界名作劇場」を見て育った世代で
あのヨーロッパやアメリカなどの、少し古い時代の話に
あこがれながら、友情や愛情、優しさを、ごくあたりまえのように
学んでいたのだが、今回紹介する漫画、『エマ』は、
現代の女性作家が描いた作品であるにかかわらず、
カテゴリーがいわゆる恋愛物であるにかかわらず、
あの子供時代の優しい空気を追体験させてくれる作品である。

私にとっての良い作品の定義はいくつかあるのだが、
『エマ』に私が感心させられる点はまず、しっかりとしたデッサン
ちゃんと服の中に肉と骨が収まっていること。
描かれる背景や小物の緻密さ、時代背景についての
リサーチが充分されていると、見ていて伝わること。
女性作家ならではのコマ割りの妙。間、というか空間が
心理描写とリンクしており、コマの中にセリフがなくとも
ちゃんと読者に、野暮なセリフまわしなしで伝わるものがあること。
そしてなによりも、森薫という作者自身がイギリスを、
ヴィクトリア時代を、そこに暮らす市井の人々を、それ以外の上流社会を、
メイドを、またメイドという職務がなんたるかを理解しており、愛していること。
描きたいものがはっきりとしているので、読む側も安心してその身を
作中へどっぷりと漬けることができるのである。

主人公のエマは、一人暮らしをしている元家庭教師の
寡婦の家で、メイドとして生活をしている。
エマの地味な風貌はそのまま、彼女の性格をよく表しており
いつも控えめで、真面目で、責任感もひといちばいである。
しかし、彼女の心の奥には情熱的な部分があり
見た目に反しているからこそ、その部分の描写がとても際立つ。

『エマ』はメイドである主人公エマと、上流階級の青年との、
身分を超えたラブストーリーを基軸とした物語なのだが、
各所で評価が高いのは、それ以外の描写も手を抜かず、
作者のやさしい目線でしっかりと描いているからなのだろう。

エマの雇い主の婦人は、孤児であったエマのことを娘のように思い、
空いた時間には教育を施し、彼女の行く末を密かに案じる。
エマも立場をわきまえながら、女主人に誠意と愛情をもって尽くす。
お互い、その気持ちを言葉として表すことなく。
このような人間関係や脇の登場人物を、恋愛だけにとらわれず、
人物の内面や、さらにそれぞれの生活までもを丁寧に、
細かいエピソードを挿入しつつ、やさしく、わざとらしくなく描いていることが、
どこかあの『世界名作劇場』を思い出させるのだと思う。

作中でエマや登場人物が涙を流すシーンは少ない。
そして、私はちょっとやそっとの作品では涙を流すことはない性格だ。
しかし、各巻、各巻で私の目から涙が流れるのは何故だろう。
上記に挙げたコマ使いと同様、涙を流すシーンがなくとも
読者に、こんなあまのじゃくの私にも、
充分に伝わる感動があるのだということだ。
作者のこの力は素晴らしいと思う。

実はこの作品は、2005年にその前編となる話をアニメ化している。
深夜の放送であったため、ファンを除いて、
まして大人で見た方は少ないだろう。
原作がある場合、往々にしてアニメ化の際は、絵柄が省略され
改変(改悪)がなされ、イメージ違いな声があてがわられ
原作ファンをがっかりさせることが多いのだが
この『エマ』のアニメに関しては一切そういうことがなかった。

静止画であったコマの間が、動画のなかで余韻として与えられ
風がやさしくそよぎ、街が動き、
登場人物が裏切られる事無く、そこに生きている。
一話一話しっかりとテーマがあり、それらを分断して見ても楽しめる。
さらによくありがちな、ベタなタイアップの歌謡曲がテーマソングになり、
雰囲気を壊される事がなかったのも良かった。
このアニメ版の『エマ』も、まるでジェームス・アイヴォリーの
英国映画を見ているような、そんな気分になる
上質な一本の「作品」に仕上がっていた。
そして、やさしい色彩や音楽やストーリー、登場人物達が私を、
アンや、ハイジや、カトリや、セーラや、ポリアンナを心待ちにしていた時代の、
あの「世界名作劇場」を見ていた子供時代に回帰させてくれる。

このアニメの後編がいよいよこの四月にスタートする。
漫画としての『エマ』は完結したが、アニメとして、又あの感動を
しみじみと味わえるかと思うと、今から楽しみでならない。

アニメ版『エマ』第2幕のPV
http://www.emma-victorian.com/promo.html

原作紹介
http://www.emma-victorian.com/original.html




森 薫
エマ (1)