こんにちは
笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
昨日の続き、『千と千尋の神隠し』の事書いてたら、どんどん話が増えて行ったので別の記事としてまた書こうと思います。切り取って保存しといた。
「千と千尋の事書いてたら、長くなりすぎて、椿大神社からどんどん離れて行ってもたから、別の時に書こうと思って保存してん。
ほんで何書こ~。①は、感覚を開くとか閉じるとかの話を書いてん」
「椿大神社の神さん・猿田彦は、道開きの神さんやん」
「ほぉ」
「道を開く、何か取り除いて通れるようにする、道案内をする」
「うん。それはわかってんねんけど」
「天鈿女さんも、道開き」
「えっ そうなん」
「アマテラスの閉じこもる天戸を開いた。
ナマコの口を引き裂いたという伝説からも《開く》。
ほんで色っぽい踊りをしたと言うやん。
胸をはだける…も、《開く》」
「へ~」
「外に向かって開く、こっちとあっちを隔てるものを開く、とかな」
「ほな、閉じる神さんは塞の神さんかフナドノカミ。
《こっからイザナミ、こっちくんな》と、ドーンと道をふさいだ神さん」
「それはどうか知らん」
…問題提起だけじゃなく、最後まで責任もって教えてくれたってええやんか。
と調べてみました。
すると、猿田彦さん、ニニギノミコトを道案内した事から、道の神、旅人の神とされるようになり、近年では交通安全の神さんとしても、道祖神と同一視されるようになった…と言うことです。
道祖神=塞の神。
道祖神は、厄災の侵入防止のために、村の守り神として道の辻に祀られている石仏。
長野県にいっぱいありますよね。
私もむか~し、夏の白馬村に旅行行った時、安曇野で見ました。
男女が寄り添ってむつまじくし手を繋いでるのを彫ってあったり、像にしたのが多いです。だから、子孫繁栄、男女和合のシンボルとも言えます。
猿田彦さんと天鈿女さんがご夫婦だったし、2人とも道開きの神さんだったとすると、そら、「一緒にしてまえ~」と、昔の日本人が思ったのも無理はない。
道祖神
大体正反対の意味を成すものは、同じ意味が含まれるものだったりします。
ルシファだって最初は力のある天使だったわけやし。
光があるから闇があるわけやし、光が強ければ闇もより濃くなるわけやし。
開くっていうことは、閉じてた事が前提で開くわけで、道を開く神さんも、道を塞ぐ神さんも、同じっちゃあ同じなんでしょね。
と、ふと思った。
んじゃあ、縁結びと縁切りも、同じやん…と。
調べてみました。ありました。
両方兼ね備えてる神社。
京都の『安井金毘羅宮』。祀られてる方が『崇徳上皇』。
この方の詠んだ和歌、私は大好きです。ロマンチストだから。
『瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ』
保元の乱で讃岐に流された人です。
んで、恨みから怨霊になったとか言われてますが、本当の上皇の気持ちはわかりません。もしかしたら草葉の陰で「えっわしそんなん思ってへんし」とか言うてるかもしれません。
やっぱり、ようupせんかった。代わりに近くの清水寺の仁王門
『その時に必要だからあった。その時に必要でないからなくなった。
そして、また必要な時には、必ず出現するものなんやと思います』
と①で書きました。
『縁』というのも同じで、今の自分に必要だから今関わっている人々と、縁が続いてる。片方の都合ではなく、双方にとって、必要だからあるんやと思います。
お互いに必要がなくなれば、必然的に離れるもんです。
それは「アンタ嫌い」「アンタむかつく」とかそんなんではなく、自然とそういう向きになっていくと言うことでしょうね。
だって、芸能人でも、何十年もいがみ合ってか何か知らんけど、別居はしても離婚しない夫婦もあれば、めっちゃ仲良く見えて「えええ~」と電撃に別れたりする夫婦もありますやん。
それもやっぱり、本人たちのうかがい知れぬ「縁」のもんで、そんな状態でも別れられないのは、「お互いにまだ、学ばねばならないもの」を学びきってないと言うことでしょう。それか、何か執着があるのかな。
夫婦だけではなく、恋人関係、友達関係、師弟関係もそう。
もしケンカ別れしたとしても、「絶対許さん」とか、心にプリプリしたものを持ってると、結局はそれ、まだ自ら「結いつけてる」ようなもんです。
それが「執着」かも。
「執着」って、しがみついてるイメージですが、「嫌いや~」と嫌いな対象を思っていても、「執着」だと思うんです。
それが無意識に「結いつけてる」状態だと思います。
そら人間ですから、腹も立ちますやろけど、ヒトは忘れる事も出来るんです。
あ、だから金毘羅宮の絵馬とか形代を「結び付けた」碑が、私はイヤンな感じなんかも。そこに残ってるねんもん。
一期一会ではないけど、今あるご縁大切にして過ごせばええわけやし、もし、また再会したい人があれば、会いたいな~とでも思ってれば、それこそ縁があれば会えると思います。
神さんはご縁と言う「プラン」を示してくれるだけで、それを受け取る受け取らないは、自分次第という事でしょう。
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