昭和の名将と愚将 | 中央線で読む新書

昭和の名将と愚将

半藤+保阪の対談。

同じ明治17年生まれながら、日露戦争では、東條は兵站の手伝いをしただけ、山本五十六は実戦に参加。これがシンボリックで、東條あたりの世代(陸士17期以降)はドイツに留学し、国家総動員体制には高度防衛国家の整備が必要と頭で学んでくる。(15-16)

特攻や玉砕は文化の頽廃、と保阪。(17)

山本五十六の死(4/18)は5/21まで伏せられる。その日、国技館では大相撲が催されており、「海ゆかば」で黙祷。龍王山-青葉山の取り組みで、組み合ったまま動かず、取り直し。再び組み合ったままになり、引き分けになる。すると山本大将が死んだ日に闘志の足りない相撲をとったと、出場停止に。(162-163)

ノモンハンでは、歩兵七十二連隊長の酒井美喜雄大佐は「負傷後送のち自決」となっているが、戦闘状況の尋問のあと、拳銃を置いて出て行かれて自決を強要された。歩兵七十一連隊長岡本徳三大佐は入院中に斬殺。(179-180)

インパールの牟田口廉也、戦後しばらくしてイギリスでインパール作戦に関する書籍が出て、作戦構想をほめる部分があり、それのコピーを持ち歩いていた。それどころか昭和史の研究家のもとに自ら電話をしては、そのコピーの説明をしてまわった。(199-200)

瀬島龍三のブラックホール。

【つまみ読みにGOOD】 2008年
昭和の名将と愚将 (文春新書 618)/半藤 一利