テレキャスター23/クラレンス・ホワイト(その2 改造はいかに進行していったか?) | おんがく・えとせとら

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 前回はクラレンス・ホワイトのテレキャスターの外観をチェックしましたが、今回は、このギターがどのように改造されていったかを確認してみます。

$おんがく・えとせとら-nashville Nashville West 1966

 50年代には隆盛を誇ったブルーグラスも、60年代に入ると電気楽器の台頭により次第に勢いが衰え、ホワイトが参加していたケンタッキー・カーネルズも1966年に活動を停止せざるを得なくなります。
 ホワイトは同年、ジェームス・バートンの勧めもありエレキギターへ持ち替えてカントリー・ロックバンドを結成、ハウス・バンドとして出演していたL.A郊外 El Monteのクラブの名前に因み「ナッシュビル・ウエスト」と名乗ります。ここでテレキャスターが登場してきます。
 なぜ、ギブソンやストラトなど他のフェンダー・ギターでなく、テレキャスターだったのか? これは言うまでもなく、チョーキングを絡めた復弦奏法を多用する中でチューニングが安定していること、ジミー・ブライアントやジェームス・パートンなど影響を受けたギタリストがテレキャスを使っていたから、と考えられます。

 写真のテレキャスターはごくノーマルな仕様、ヘッドロゴなどがよく見えませんが、メイプル指板・白ピックガードであること、赤い?フィニッシュ(レアカラーではあるが)などから察するに55-59年頃の製品と思われます。66年当時の新品テレキャスはローズウッド指板が標準でしたが、10年前の中古で安かったから?、以前から所有していたから? …入手の経緯は分かりませんが、メイプル指板のアタックの強い音色を好んでの選択だったというところでしょうか。

$おんがく・えとせとら-white2 #1

 もう一枚、これはサンバーストのテレキャスターを抱えた写真。風貌からするとナッシュビル・ウエスト時代の写真と思われます。
 これがベンダーギターの原型か? ヘッドのストリングガイドが上方に1個だけついてるところを見ると、おそらくネックは56年以前のモノ、前年の積み残し部材の流用を考えると57年頃までか? サンバーストが標準カラーに加わったのは57年頃からなので、両方を合わせてみると本当は57年製あたりの代物ではないかと。


 ホワイトについては年代のはっきりしない画像も多いため、以下、髪とヒゲの伸び具合を頼りに経時変化を追っていきましょう。

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 バーズ加入前後と思われる写真。…とすると68年頃か? この時期にはフロントPUがなく黒いピックガードが装着されています。また、B弦用のみですが既にベンダーが仕込まれています。ただし、ボディ裏板の追加はなされていないようです。スプリング類が剥き出しだったんでしょうか? なんとなくボディが体から浮いてますね。ボディ表面、左肩にある黒●はベンダー用クランクの支点を固定する金具。
 この写真を元に「エスクワイア」説があるのだと思いますが。#1のギターから単にフロントPUを外しただけでは? フロントPUを使用している例をほとんど見ないので、なくても同じだったのかも。PUセレクターのセッティングはどうなっていたんだろう?
 懐かし!カールコードを使用していますね。アンプはフェンダー・デュアル・ショーマン? アンプ2台を同じくカールコードでつないで並列使用しているようです。

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 ベンダーの弦止め金具を追加、ボディ裏板も増設されて厚みが増しています。ヘッドを見るとペグは全部クルーソン、まだキースチューナーは装着されていません。

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 1968年10月の画像とのクレジットがあります。ピックガードが黒パール柄に変更されています。よく見えませんが、フロントPUが増設されているような…。フロント単独は使用しないにしても、フロント+リアPUのミックス音あたりの必要にかられて追加したのかもしれない。
 この時期には1,5弦用ペグがキースチューナーに交換されています。

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 69年8月の画像。ピックガードが赤い鼈甲柄に。フロントPUは黒いボビン? ヌーディーのステッカーも貼られているが、フランクフルトのワッペンはまだ無いようです。

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 71年頃の画像。白いカバーのフロントPUが付き、ボリューム・ノブとトーン・ノブの間にフェイズスイッチが付いた、ほぼ最終の形。
 同年夏バーズは、drジーン・パーソンズが馘首になり、73年にはbスキップ・バッティンも解雇、クラレンス・ホワイトは最後まで残っていたものの、オリジナル・バーズの再結成に伴い失職。
 その後はニュー・ケンタッキー・カーネルズを興したり、ピーター・ローワン(g/vo)やデビッド・グリスマン(mandolin)らと組んだミュールスキナーで活躍したり…が、同年7月、飲酒運転の日系人女性ドライバーの車に撥ねられ、命を落としてしまいます。享年29歳、嗚呼。


$おんがく・えとせとら-white7 #7

 これはおそらく、94年のVintage Guitar誌に掲載された頃の写真。71年当時と比べると、以下の点が変わっています。
・ボディ表面に「プリマス・サテライト」のエンブレムを追加
・ブリッジ1弦駒の付近に黒い丸型のノブとリテイナーを追加(これは1弦ベンド用のパームペダル的なものと思われる。VG誌には「マーティー・スチュアートが設置した」とある。)
・5弦用キースチューナーが6弦に移動
・ジャックプレートをオリジナルの丸い皿型から金属製の四角いプレートに交換(この写真では見えないけど)

 次回は本丸、ベンダーの構造について。