思い出が私を救う日 | 馬、大好き!

思い出が私を救う日


今の話。

いつもは以前の旅の話をアップしていますが、時々今の馬出来事を日記がてら書いています。

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今を生きる。
思い出は、いらない。振り返らなくても、今につながっているから。

そう思っていた。だから20年前の写真が出てきたとき、全部燃やすつもりだった。

オーストラリアを一年間、バイクで走り回ったときの写真。デジカメなんてなかった時代。

何年も開いていないアルバム。
忘れていたこと、いっぱい思い出した。奇跡のような旅だった。メールのない時代なのに、会いたい人、会わなければいけない人には、不思議なことにちゃんと会えた。

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オーストラリアンサファリラリーの最終日を観戦した。まさか4年後に自分がそのレースに参戦してるとは。この時に会った選手のノリちゃんは、日本のモトクロスレースで再会。

昔勤めていた会社の同僚に、 田舎の宿でバッタリ再会。

関西テレビの取材にたまたま遭遇。テレビに映った。有名なタレントさんとツーショット。

京都の友人カップルが新婚旅行で来ていて、これまた不思議なことに出会えた。

街を壊れたバイク(重症)を押して歩いていたとき、話しかけてきたのは滋賀県(同郷!)でバイク屋さんをしている宮本さんだった。彼が借りて住んでいたアパートの台所で、バイクを直してくれた。

4年前、一度だけレースに連れて行ってくれた人にバッタリ再会した。

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よくあんな道を一人で走ったものだ。我ながらスゴいな。あのとき出会った人たちは、今も仲良し。オーストラリアのファミリーは、私を今も「私たちの娘」と呼んでくれる。


ここの写真はほんの一部。
















写真は捨てるつもりだった。紙の思い出を、火にくべるか迷う私に、いずみちゃんが言った。

「いい思い出があると、人は生きていけるんだって。困ったとき、弱ったとき、過去の自分が救ってくれるんだって。」

確かにそうだ。写真を見て思い出した。私がこんなにも幸運で、友に恵まれ、強いことを。
いつか弱ったときに、救ってもらえるように、思い出を残しておくとするか。

赤い線がバイクで走った道。



Before。当時24才。オーストラリアに旅立つ日、守山駅にて。



After。当時25才。オーストラリアから帰ってきたとき、関空にて。



素敵な手紙も出てきた。オーストラリアで破天荒な旅をしていた私。自転車旅をしていた戦友のような、同志のような友人が、「杉ちゃんが来たら渡して」と残していった手紙。これも、いつか弱ったときに読もう。

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ピンチになった杉ちゃんへ

とにかくこれでいいもん食え。
ビールも飲んじゃえ。
もしグレハンのルート上で動けなくなったのなら、このパスを使え。
(ただし、残り600kmで、有効期限が1月末だ。ゴメン。)
阪神大震災で、みんなの役に立ったという浄水ストローと殺菌剤を入れておく。
ドロ水をそのまま飲むよりいいと思う。
もしも誰もいない所で動けなくなったのなら、
あきらめるな!!
しがみついてでも生きのびろ!!
一応水を作るためのビニール袋も入れておく。

頑張れ!
頑張れ!
頑張れ!



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ありがとう。