安楽死に関する記事には多くの反響をいただきました。
今日は私たちが安楽死を決めた、そのタイミングについて書きましょうか。
*この記事には凄惨な写真が含まれますのでご注意ください。
昨日の午前中は、11月の東京にしては稀に見る雪でしたね。
今日は晴れてきましたから、これからあらかた溶けてしまいそう。
こんな晴れて暖かい日は、準の容体がよかったな……
ここ数ヶ月ずっと、朝は準の介護をしたあと寝かしつけながらその横でブログを書いてきたものだから。
なんか、することがなくなっちゃいましてね。
今朝は朝食後、柚子ジャムを2キロと鶏レバーペーストを1キロと、大量に作ってました。
いつもなら一分一秒でも早くと思って走って帰路を急いだ木曜日の夜。
昨日からもう、急ぐ必要はもうなくなりました。
寝室の扉を開けても、そこにはお腹をすかせた4匹の猫がいるだけ。
準の安楽死を決めたのは、10月3日。
扁平上皮癌の再発の告知を受けた、大学病院からの帰りの車のなかでです。
その日はまだ、安楽死のことはブログには書いてませんでした。
書きたくなかったんです。
書いたら、本当にその日が訪れてしまいそうで……
そして、最後は安楽死にする、そのことだけは決めたけれど。
日程はなかなか決まりませんでした。
安楽死をいつにするか、その意見が妻と一致しなかったということもありますが。
日程を決めてしまったら、準に死刑宣告をしているようで…
それが二人とも、嫌だったんです。
準も、容体が良い日は本当によかったんですよ。
私たちは準とは1日でも長く一緒に居たかったし、準も私たちのことが大好きだったし。
何月何日に、なんて決め方はとてもできませんでした。
準は胃瘻チューブをつけていたから、延命させようと思えばあと半年でもそれは可能でした。
だから、安楽死の目安となるタイミングを妻と二人で決めました。
痛み止めが効かなくなったとき、その時までにしようと。
安楽死を決めた日から数えて、47日。
どれだけ鎮痛剤を投与しても効かなくなったその日、獣医さんからも勧告を受けました。
獣医さんにも、私たちの決めたタイミングをお伝えしてあったからです。
準を安楽死の床へ連れて行こうと猫用コタツから出そうとしときのことです。
準は出ることを嫌がって、踏ん張りました。
一瞬躊躇したあと、私は準を力任せに引っ張り出しました。
それから動物病院に着くまで、あまりにぎゅっと歯を食いしばっていたものだから。
その日の晩は、奥歯と顎が痛くなっちゃって…
勝ち目のない癌との闘病だからこそ、どのタイミングで終わらせるかがとても重要になります。
それが扁平上皮癌と闘い、最後に安楽死を選んだ私たちが学んだことでした。
私たちにとってのそのタイミングが、11月20日だったんです。
しばらく休んでいたブログやSNS関係の巡回を再開して、Instagramで交流のあったダイヤさんが腎不全で準の死と前後して亡くなっていたことを知りました。
準よりさらに若い、6歳でした。
いつも元気におもちゃを追いかけていたダイヤさん、虹の橋の向こうで準の遊び相手になってくださるでしょうか。
今週は妙にスヌーピーづいてまして。
昨日はジェラートピケで、新作のスヌーピーコラボのルームウェアを上から下まで揃えちゃいました。
女性向けはスヌーピー、男性向けはチャーリーブラウンと用意されてるので、ペアもできるんですよ。
準を失ったからこそわかったこと、準から教わったこと。
それは扁平上皮癌との闘病のことでもあったり、もっと一般的に猫の病気と介護のことでもあったり、さらに一般的に、猫を愛することでもあったりします。
私はまだまだ、それをお伝えしていかねばならない。
それが誇り高くて、女性が大好きで、目立ちたがりだった準への餞けだと思うからです。
このブログで、準は生き続けます。
だからこのブログは、これからも「猫8匹と暮らす…」です。
*この記事への「いいね!」は準への追悼と理解しますので、ご遠慮なく!