重盛とTOM盛は同じ長男なのにこんなに性格違うって話になっちまった件 | TOMTOM日誌

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シンガーソングライター♪本庄冬武のオープン日誌( ゚∀゚)




 それも重盛をRespectするが故だな…(´_ゝ`)



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 平重盛!窪田正孝ver!とうとう散る(TnT)!





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 平重盛。私の尊敬する武将の一人。水戸学で『日本の三大忠臣の一人』とまで言われた御方!けど、学校の歴史じゃ、あんま注目されんわね(´A`)
今回の「平清盛」の貢献の一つって、やっぱ、この平重盛をここまでフューチャーした事だよ。
 窪田正孝さん、名演の連続でした!もーきじゅく、うたいみそーち!(お仕事、お疲れ様!)おれはオスだから、男の芸能人なんて、どうでもいいんだが、この人は素晴らしい俳優だな。若手実力No.1だろ。



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 ほんと、平治の乱の時の、VS義平戦の時なんて、わくわくした!あのタテ入る時の刀構えた瞬間の兜から光る窪田氏の目力!半端ない!今回の風前の灯の重盛も見事な演技!
崩壊寸前に兄弟、息子たち呼び出し、「影に日向に父上を支えよ」って遺言の言い回しもじょーとー!






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 ……宗盛の部屋入った瞬間の表情は、他の兄弟たちと違って単なるややドン引きな表情で、重盛に「宗盛…」って呼びかけられて、「はい…」って答える、その瞬間まで“アニキには負けねーよ…“的な顔だったけど、「もう自分は長くない…」って言った後は、カメラには表情でなかったけど、「何を仰せになりますか!」って強く励ます語気になってたよね(T▽T)
 ……ほんと、いつもKYなんだけど、根はまじいいやつって宗盛像に見えたのも、今回よかったなー。
  ……けどさ、やっぱおれならこう思うって話なんだけど、森田時忠の屁理屈みたいだけど、



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 この窪田重盛が見事に演じきった葛藤の最大の消耗って、一生懸命尽くしてきたけど、それでも『父上(清盛)の目指す国が見えませぬ!』って事もあったと思う。けど、あくまで、おれなら、“ここまでやってもわかんね…“って思った瞬間に

『……見えないという事は、もうそのような国はない事と同じでありまする。』って口にはしなくても、自分の心の中では、そう思って父上(清盛)とは訣別するだろな。で、経子くらいには、夜遅く呟くかな。

『・・・経子、目下、私の一番の目標は父上よりも心身ともに健康で長生きをする事じゃ。』
その真意までは問われても言わないけどね。

 自分の思う平家ってものは『有則故実(?)』、要するに昔ながらの『原理原則』に基づいたものにしたいってんなら、とにかく、そのプランを練りに練って温めておきゃいい。で、清盛の影響力がなくなった瞬間が勝負!みんなの前で宣言!


『今日から私が真の平家の殿様じゃ。父上は父上の考えがあったようだが、今日からの平家は有則故実!これに異がある者は皆、破門とする!我が命に背く者は平家に非ず!』



ま、清盛の事を慕う人間の方が圧倒的に多いだろうから、造反者続出だろが。んな奴らは片っ端に、



『…そうか。お前の言いたい事はよーくわかった(^∀^)。……では、そちは、今日から山田を名乗るがよい。』

『…そうか。お前の言いたい事はよーくわかった(^∀^)。…今からお前は田中じゃ。否!お前なんか田中星人○盛じゃ!』





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って感じ。造反はでるわ、内ゲバ戦も凄そうで、平家の影響力自体は落ちるかもしんないけど、『有則故実』って方針にしたいって決めたんなら、それをやり切りゃいい。



・・・まぁ、そうじゃない、父親思いの真面目実直、心優しい正義漢って感じだから重盛ってやっぱ魅力的なんだけどな。
こりゃーやっぱ昔から平重盛が好きだったからこそのTOM盛目線。



 …もし、平TOM盛って人が実在して重盛の立場でしたら、多少、気性は荒いから、保元や平治の乱では結構燃えただろうが、その後は、

『政の世界は片っ苦しーのー。…楽しゅうない。』っとか言って、清盛の姿を流し目に、後白河の元に出勤しながら思うだけだろうな。

“かくなる上は!いかにして、うまく手を抜くか!これぞ我が心の軸!“ってなる。

 西光フルキックしてる清盛はやっぱおれも止める。ありゃ、父上の気持ちもわかるがやりすぎ。実際の清盛も身長180くらいあった大男だったらしいけど、TOM盛は、190以上ある更に大男だからね。

 小柄な重盛より、ガッチリ抑えられたんでないかな。




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前回の名回「忠と孝のはざまで」の時のように、平清盛武装クーデターのような事があった時も、“……どこまで我を通されるのやら“って一応、鎧きて、あの場に居合わせるけど、頼りになる側近、派遣して、後白河に、企てばらして事前に、ご破算にしたる。後で清盛にお前だろ!って問い質されてもシラをきる。ま、この辺りで棟梁剥奪かもだが知ったこっちゃねーwむしろラッキー☆



 東国で頼朝蜂起が、起こったら、『めんどくせーのー』ってぼやきながらも、そこは頑張る。けど、猛者ぞろいの源氏勢に対して、こちらは公卿化著しい。使えそうなのは、知盛と、重衡くらい。けど実戦経験がない。忠清に侍大将やらすには年いってる。司令部が、頼りない感じだと末端の士気にも影響する。義朝の頃のような力まかせな戦法と違って、頼朝&義経コンビは心理戦も巧み。



 実際、壇之浦では、義経の平家方の配下の武士達への水面下の懐柔策もあったみたいで味方の水軍の一部の寝返りも決定打になったらしい。おれなら武力の差は圧倒的に源氏が上で、ガチじゃ負けるとわかったら、戦はしながら、水面下で源氏方に女やら賄賂やら間者やら暗殺者やら使える手段は汚い手だろうが全部使って、【勝利】じゃなく【引き分け】を目標。平家存続ラインの死守くらいは尽力する。



 引き分けにできて、だいたいの事は当分、目処つきそうって見極めたら、宗盛、呼び出して、『私は政の世界は性はあわん。宗盛。棟梁の座は、お前にくれてやる。昔、元服前に読んだ進研ゼミという書物に“楽しくない人生は嘘!“とあってな。これが私の心の軸だ!だから私はこれから福原に赴き、宋船に乗り、宋、その果ての天竺、または更にその向こうの世界にいってまだ見ぬ人々に会いに行く!』



 その後、天竺まで赴いたTOM盛は、ご当地インドカレーのレシピをマスターし、そこに雅な平安アレンジを施したカレーを大ヒットさせてカリスマ店長になった後、ヨーロッパ初の琵琶法師になりました。【THE END】





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……ま、何はともあれ、窪田重盛ありがとう!最高でした!
……なんだ。このブログ苦笑。