後輩の指導は「褒める」と「叱る」どちらがいいのか?
おくです、
ポジティブシンキング全盛の最近。褒めて、承認して、ひとを励まそう!って感じの本がいっぱい。
なんだけど、リアルな日常(会社、家、などなど)では、「叱る」がいっぱい。
じゃ、叱るのと褒めるのと、どっちのが人を育てられるの?とか、どっちのが愛情伝わるの?とか、どっちのがどっちのが、、、、
って思うんだけど、「両方大切だよね」ってなる。
それは本当にそうなんだけど、じゃあどうやって見極めるのか?ってさらに考えると、
「まぁそれは相手によって、、、」
「んー、状況によってさ、、、」
「うまく使い分けて、、、」
って、急にトーンダウンする。
正反対な手法なのに、伝わったり伝わらなかったって、どうすりゃいいのでしょうね。
そこで、ぼくがいつも、おすすめしているのが、「みとめる」です。
「みとめる」っていうのは、相手がやったこと、思ったこと、をまずは「そうなんだ。」って受け取ること。
誰かがやった何かを「すごくいいねそれー!」って承認したり、そこにあるものを「これは素晴らしいね」って褒めたり、というのは大切なんだけど、
時として、「うーん、嬉しいんだけど、なんか言葉が勢いだけで、重みがない、、、」って感じることがありませんか?
それはね、それが「評価」だから。
例えば、「すごくいいねそれー!」の裏側では、 「そうじゃなかったら全然良くないね」が含まれてる。
せっかく褒めてるのに、「褒められなくなるのが怖い」を助長してしまったり、褒められないとできない、そんなものを内側に育てちゃう。
もったいないんだけど、「評価」としての「承認」「褒め」ばかりになると、こうなっちゃう。
でも逆に、叱られてるのになんだか愛情を感じることもあるでしょ?
なんでかって、つまり、表面上で褒めるべきか叱るべきか、の前に大切なのは、
前提として「(評価としての良い悪いではなく)なるほどね!ていう、そのものをただ、みとめる」のがあるか無いか。
誰かがやったことの結果をいいね!と評価するんじゃなく、「これこれこうでこうやったんだね」ってただ、認識する。
この「みとめる」が、まず最初に大切だと思っています。
この「そうなんだ、ってみとめる」が深くできると、褒めようが叱ろうが、なんならどっちもしなくたって、相手は自分で考え、主体的に捉えられるようになる。
いいかわるいか、じゃない。
なるほどねって、そうなんだねって。
そうしてみとめてから、褒めたり叱ったりをすればいい。
これが、おすすめですよ^^