マイコレ紹介522回目、クツは397足目です。
彼がまだ、何者でもなかった時。
NIKE VIS AIR SWEET TB "KD" PE
ケビン・デュラントが、NBAの最初のゲームで履いたモデルです。
もう皆さんご存知の通り、今年のNBAファイナルはゴールデンステイト・ウォリアーズが王率いる騎士達を退け、2年ぶりの優勝を果たしました。
その原動力となったのは、KD 35。
ファイナル5試合は平均で35ポイント越えという圧倒的なスコアリングでクリーブランドディフェンスを攻め立て、文句なしのファイナルMVPとなりました。
彼がNBAのコートでプレーする映像を初めて見た時(確か2007年の11月だったと思います)、私はその恐るべき才能に目を奪われました。
その後数試合見ただけで、まだ19歳だったケビン・デュラントに、将来NBAの王座に座る存在になるという確信に近い予感さえ覚えました。
そして、彼がNBAチャンピオンになった時、このモデルを紹介しようと決めました。
ただ、10年もの長き月日を要することになるとまでは、予想できませんでしたが…。
VIS AIR SWEET の、デュラント用にデザインされたPEモデル。
実は、デュラントがNBAデビュー戦である2007年10月31日のデンバー・ナゲッツ戦で履いたのが、このモデルです。
デュラントは今でこそ自身のシグニチャーモデルであるKDシリーズを着用していますが、ルーキーシーズンはNIKEもまだ彼にシグニチャーを用意しておらず、代わりにこうした特別なデザインのものを彼に提供したのでした。
デュラントがNBAの頂点に向かう、その第一歩を刻んだモデルは、どんな一足だったのか。
各所を見ていきます。
アッパー全体はシックな印象の黒レザー仕上げ。
ベースとなっているのはミドルプライスの買い求めやすいシューズですが、かっちりしたレザーにしっかりと縫われたステッチと、作りの良さが見てとれます。
シューレースホールはプラスティックパーツを並列させることで補強、さらにアンクル部分はアルミパーツで補強しています。
光沢あるスウッシュは、パテントレザー。
履き口付近にはアンクルパッドがありますが、ここにはかなり硬い作りのプレートが内蔵されていて、外部からの衝撃からかかとを保護する役目を担っています。
ヒール近くには、おなじみのKDロゴが刺繍。
そして、ミッドソールはビジブルエアになっています。
こちらはインサイド側。
通気性確保の為、パンチングホールが一面に入れられています。
正面から。
線が太いフォルムのこのモデル、このアングルからだとブーツ感がありますね。
その中でイエローのシューレースがいいアクセントになっています。
後方から。
【ELITE】 を意匠化したロゴの下には、デュラントの背番号、35を刺繍。
このナンバリングだけでも、特別感が出ています。
シュータン裏。
"W" "P" をロゴにしたタグが縫い付けられています。
このWPというは、【Wanda Pratt】 のイニシャル。
ワンダ・プラット……デュラントの最愛の母、ワンダのことです。
彼はNBAデビュー戦で履いたモデルにも、こうして母の名を刻みました。
インソール。
【 K smoove 】 とありますが、これは当時デュラントを示していたニックネームのうちの一つです。
デュランチュラと呼ばれるだけでなく、デビュー当初から多くの異名で呼ばれたKD。
当時だからそれだけ稀有な存在だったと言えますね。
アウトソール裏。
フロアに対し、かなりフラットなレイアウトのソール。
とんでもなく甲が低いデュラントにとっては、こうしたレイアウトが足に合うのでしょう。
それでは、他いくつかのアングルから。
入手からもう10年近くになりますが、状態はさほど悪くなくてよかった(微笑
10年前の2007年、シアトル・スーパーソニックスからドラフト全体2位指名を受けNBA入りしたケビン・デュラント。
前述の通り、彼はNBAデビュー戦のデンバー戦でこのモデルを着用しました。
( via Boosh Sports.com )
夏のキャンプでベンチプレスの数字などが驚くほど低調で、その筋力のなさがNBAで成功するには大きな妨げになると心配されたデュラントでしたが、デビュー戦で早速才能の片鱗を見せます。
当時デンバーの絶対的エースだったカーメロ・アンソニーとマッチアップし、いきなり18得点してみせたのです。
既にリーグを代表するスターだったカーメロ相手に、これだけのことをしてみせる19歳……異次元すぎる(汗
その後は若さゆえにアジャストに苦労する面もありましたが、『非力で怪我のリスクもつきまとう』 と評されたルーキーは、欠場はわずか2試合のみ、シーズン80試合に出場。
平均で、20ポイント、4リバウンド、4アシストと結果を残し、見事新人王に輝きました。
中でも圧巻だったのは、その80試合目です。
ルーキーにとっては未知の体験であり、心身の疲労もピークであったろうそのシーズン最終戦で、彼は42ポイント13リバウンドを記録(どちらも当時の自己最高記録)、チームを勝利に導きました。
さらに運命的なものも感じるのは。
ルーキーシーズン最後の試合だったそのゲームは、オラクルアリーナでの、ゴールデンステイト・ウォリアーズ戦。
そうです、先日のNBAファイナルで優勝を決め、MVPトロフィーを掲げたオラクルで、現在の所属チームであるGSWを相手にしたゲームだったのです。
NBA最初のゲーム、デンバー・ナゲッツ戦。
VIS AIR SWEET "KD" を履きコートに立った彼は、ドラフト2位でプロ入りした、しかしNBAではまだ何者でもない若者でした。
そのシーズンの最後、新人王の称号を得る直前の、彼が何者でもなかった最後のゲームで、彼は爆発しました。
オラクルで、GSWに対して。
そして、10年目のシーズン。
様々な批判にさらされながらオクラホマシティから移籍した彼は、悲願の王座を勝ち取りました。
オラクルで、GSWの一員として。
MVPとしてチームを勝利に導き、自身が最高の選手であると証明したのです。
これでもう彼の選択に対し批判する声が小さくなるのは間違いありませんし、私としては、上記のストーリーに運命を感じるばかりです。
ケビン・デュラントとは、誰なのか。
その問いに、今ならこう答えられるでしょう、「チームを優勝に導いた、ファイナルMVP」 だと。
しかしながら、これで終わりではない。
デュラントのストーリーは、まだまだこれから。
VIS AIR SWEET "KD" から始まった彼の歩みがどこまで続くか、私は今後も見届けたいと思います。
そして挑戦してくるライバル達とのまだ見ぬ激闘を、ただただ楽しみに待ちたいです。
…優勝おめでとう、KD。
でもね、最後に一つだけ言わせてくれ。
…10年も待たせやがって、引っ張り過ぎなんだよバカヤロォォォ!!(感涙
以上、ヴィズ エア スウィート "KD" の紹介でした。
正直言えば、ゴールデンステイト対クリーブランド、そしてデュラント対レブロンのドックファイト、第7戦まで観たかったという思いもあります。
しかし、今季はそれだけGSWとデュラントが素晴らしかったということですし、また来年以降に楽しみが延びたと考えれば、それほど悪くもないかなと。
今季はただ、自身の信じる道をつらぬいて優勝を辿り着いたデュラントを祝福したいと思います。
ということで、本日はこれで。
また次回に~!