「色」より「色気」が好きで、「色気」より「色香」が好きだ。
エロよりエロティックが好きで、エロティックよりエロティシズムが好きということか。
あくまでも自問自答なので、鋭き突っ込みはご容赦願うも、どこかがチト違う・・・
「生」より「意気」が好きで、「意気」より「粋」が好きな方がしっくりくるかも知れない。
そこにあるのは「余韻」であるように思う。
ある物事が終わりをみせた後に微かに残る余情の風情の響きに妙に心惹かれる性質なのかも知れない。
もっというなら、終わりを迎えた時の余韻のみならず、ひと・物・時のそのものに対峙している最中に、既に余韻の姿を探してしまっているのかも知れないとも思うのだ。
これこそは十人十色のことであり、逆に余韻などは微塵も残さず・感じさせぬものが好きだと仰られる御仁がいても結して不思議ではない。
癖ではないとも思うのだが、完全な嗜好といえるのだろうか。
そういえば・・・昔のLP版のレコードの曲と曲の間には、確かな余韻があって、レコード針から流れてくる微かなノイズのなかで、聞き終わったばかりの曲の世界と、新しく始まる曲との繋ぎ目のドラマを無意識に感じてもいたように思う。
小説を呼んでいても、章の終わりを迎え、新しい章の文字を追い掛けるなかで、空気感とでもいったら良いのか、広がる胸のなかの世界像とでもいったら良いのか、余韻の存在を無視され、雑に扱われて展開がなされるような作品には、途中で表紙を畳んでしまうこともあるように思う。
一番は、人に対するものへなのだが、余韻を持つ方には妙に惹かれる。
女性に綺麗と感じることはあっても、素敵となり、惹かれるまでの心の動き方は、個人特性のみならず、女性のそれとはチョッと違いがあるのかも知れぬと思う。
余韻の存在を美意識のなかに持つのがなぜなのか理由は分からぬのだが、命の生き死にも、恋愛の「れ」の字の意味もな~んにも分からずに過ごしていた頃、「衣擦れの音」という表現に「はっ」と我に返るような瞬間があり、この時を以って、余韻フェティになったのかと自己分析をしたりもしている。
・・・で、いま現在は「衣擦れの音」の艶香を体験的にも熟知したのかとの問いには、只々、青森のリンゴのように頬っぺたを紅色に染め上げてしまう・・・としておこうと思う ¥^^¥。
人並みにスケベではある・・・否・・・人並み以上なのか・・・
草食系ではないことは自他共に認めるところではあるが、
それはあくまでも私的世界の「吉牛LOVE」のガルルのことであり、
パブリックにおいては「主食は、カイワレ大根です」と草食系を演ずる。
すっかりコートもいらぬかといった春模様のポカポカ陽気だったこの日、
ビルのなかの階段ですれ違った女性は、季節の先取りなのか半袖姿だった。
上の階から階段を降りて、その女性の脇を通り抜ける瞬間、
柑橘よりも優しく甘く爽やかな、微かな香水の香りが揺れた。
階下から女性を見上げる訳にもいかず、ただそのまま階段を降りたのだが、
可能であるなら後ろを追い掛け「そこの娘さん!」とでも声を掛けたい程の
衝動も湧き上がる程に、ズキュンとレモンハートを感じたのだった。
尾崎亜美さんの「マイ・ピュア・レディ」が胸に流れてきた。
あ 気持ちが動いてる・・・ではあったが、「色」心ではなく、
素敵を感じた瞬間の心の動きでもあった。
そこに姿はないのに
そこに感じるその人の魅力
念などが残っては幻滅にしかならぬのだが、
もっと触れ続けたいとの思いを掻き立てられる静かなフェイドアウト。
久しぶりに会った知人の「うがぁ・・・」の声に、
「はいはい・あの頃の面影も無くポニョになりましたよ」と、
胸に浮かぶ言葉を飲み込むと「お互いにじじーになったなぁ・・・」と・・・
余韻を残せる人になるなどは思って出来ることではないだろう。
ただ、加齢にともなう香りではない「何か」を漂わせればとは思う。
これからの人生のなかで出会える余韻を楽しみに、
今年こその夏こそはと、余韻の前の自分創りを目指そうと思うのだった。
A heart is attracted.
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