$ことら大尉のハート録!

宮城から一夜明けて、さらに北上し青森県三沢を目指しました。平成10年に防衛大学校を卒業し、奈良の航空自衛隊幹部候補生学校を出て、初めて勤務したのが三沢でした。元々、私はパイロットを志望していました。(あの頃は、みんな「TOP☆GUN」のマーべリックに憧れていたもんです…ラブラブ)しかし、奈良の幹部候補生学校で視力検査に引っ掛かり、「それなら、パイロットと共に戦いサポートする職がいい」と「要撃管制幹部」を選んだのです。そして、初めての職場が、青森県三沢基地(北部防空管制群)でした。
要撃管制幹部というのは、日本全国のレーダーサイトを使い、戦闘機やペトリオットに戦闘指令を出すのが仕事。言うなれば、戦局を見つつ戦闘機という駒を動かす「棋士」のようなもので、パイロットにとっては頼りになる女房役です。
冷戦が終了したといっても、領空に接近するロシアの軍用機に対して、頻繁に千歳基地と三沢基地の戦闘機がスクランブル発進していた頃でしたから、職場は常にピリピリしたムードに包まれていました。
そのような中、要撃管制幹部としての資格を取得するため、朝は4時起きで職場へ行き、皆が来る前に管制のシミュレーション訓練を行い、一日の訓練を終えた後もパイロットとの反省ブリーフィングがあるため、家に帰りつくのは23時過ぎ。毎日毎日ヘトヘトになりながら、仲間達と支え合い歯をくいしばって頑張った下積み時代を過ごしたのが、ここ三沢であり、私のマザーベースだと思っています。

昼間に、基地のOBの先輩方にご挨拶とご支援の依頼をして回り、夜はかつての仲間達を旧友を深めました。皆あの頃のままで、変わらぬ友情に心から感謝。
「ボルケン(私のタックネーム)絶対に頑張れよ!俺たち、みんな応援してるから!」
最後は、一人一人と再会を固く約束し、ホテルへと戻りました。

空自OBの森三郎市議、瀬崎雅弘市議には、本当にお世話になりました。ありがとうございました!

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