夏至の雨 | 酒とホラの日々。

夏至の雨


酒とホラの日々。-窓の雨


夏至の日の午後、低くたれ込めた雲から落ちる雨は強弱を繰り返して地面も、地面から伸びる樹や建物も、シャワーで叩き流すようにして洗われていた。

  
雲越しの弱光のせいかグレートーンの基調が強調された町中の風景には、くるくると行き交うカラフルな雨傘やファッションがいっそう際だち、人波を眺めて飽きることがなかった。

 

色鮮やかなラバーブーツを履いた女性が目立つのは今年の流行なのだろう。ブーツでなくともラバー製の雨の日用のパンプスも少しずつ増えているようだ。 雨の日もオシャレに外出を楽しむ姿は当人ならずとも見る物の心を弾ませるものがある。

 

しばらく大通りに沿って行き交う人の足取りを眺めていると、急に強まった風が雨をあおり大粒の水滴が車の窓越しの視界を妨げた。そこでふと車の中に目を戻すと、乾いた静かな車内でずっと待機していた運転手と視線が合った。

 

「出しますか?」
「ああ、ここはもういい、行ってくれ。」
 
静かに動き出した車は雨水をかき分けるように通りを離れ、次は河川沿いの緑道を移動していった。やがて適当なところで車を止めてもらい、ひとけのない河川敷を見渡すと、私は車窓から雨に煙る緑が、川面に映り込んでは水かさを増したうねりと共に流れ去っていくのを飽きずに眺めていた。
  
江戸時代には花見や月見と同様、雨見という楽しみがあったようだ。
天気予報も雨雲レーダーもない時代だが、どうもこれはいい雨が降りそうだとなると、風流好みが屋形船を仕立てて川や掘り割りを巡っては雨にむせぶ町並みや樹木の見せる情緒を楽しんでいたのである。

 
江戸は縦横に水路の切られた水の都だったが、今では埋め立てられ混雑が優雅な移動を許さない。そこで一計を案じた私は車を手配して雨見に好適なスポットを巡っていたのである。黒塗りの大きな車であるのは静かで雨の日に目立たないためだった。
  
河原でしばらくすると水面にできる波紋が小さくなっってきた。
雨音に変わって鳥のさえずりがしてきたことにに気がつき空を見ると、確かに雨脚が弱り雲が薄く空が明るくなってきていた。もうすぐ夕方にはほとんど小やみになることだろう。
 
「どうしますか?」
「ああ、今日はもうこれまでにしよう。ご苦労さんだったね。」
  
雨見を切り上げた私は、車を行きつけのバーにつけてもらい、そこで夏至の日の東京情緒を締めくくることとしたのだった。
  

 


  
(お詫び) 記事の雨見は本当ですが、実際の私は夏至の日、パソコンの向こうの雨と緑を眺めていただけです。ハイヤーもバーも、こんな雨見がしてみたいものだなあ、という空想でございます。

ホント、いい酒と風情のわかる仲間がいればもう言うことはありません。。。