All I Can Do Is Write About It ...

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2012年02月04日

春待つ季節

テーマ:冬景色

東京の1,2月は冬晴れの季節だ。
乾燥した冷たい晴天は変化に乏しい。めまぐるしく変わる雪や分厚い雲の層と向き合う時季を知っている者に
は、この季節を堂々と冬と呼ぶのが躊躇われるほどの控えめな冬である。


それでもこの春待つ季節は、その無表情な空ゆえに毎日の定時の変化を読み取るのが容易だ。
2月ともなるとしだいに日脚が延びていくに伴って、朝も夕ものっぺりとした青空の地の際が、ほのかなバラ
色に縁取られる様を眺めることができる。

実際、私は毎日夜明けと前後して家を出るが、日ごとに空は次第に明るく、地上と接する空の輪郭は次第に濃くなる日毎の変化を観察することができる。

厳しい寒さはまだ続くが、こんな毎日の眺めの実感として春が遠くから少しずつ歩み寄ってきているように思えてくるのである。

 
今日は昼にも出かけたが、日の当たる道をずっと歩いて行くと、坂の下から吹き上がってきた風に一瞬、春の
気配を感じたのもまるで見当違いでもないのだろう


 

厳しい寒さと大雪に向かい合っている地域の方にお見舞い申し上げます。
こんなに春の訪れが待ち遠しかった冬というのはいったい何年ぶりのことでしょうか。
どうか無事で健康に冬を乗り切ることができますように。




 

 

2011年09月27日

本に棲む虫、紙魚ってやつ、あれ潰しまくって、自分も蔵書の下敷きになって圧死した男は祟りだったか?

テーマ:本読み

昔の漫画をめくっていたら「レニングラードの椰子の実」ってのが出てきたのだけれど
ありゃありゃレニングラードっていう名称もなんだか懐かしいねえ、
確か今はサンクトペテルブルグで、いずれは、”ぷーちんランド”

改称されるのではなかったかな。


   酒とホラの日々。-kindle3


・・・などと戯言をいいつつめくっていたのはアメリカ製の電子ブックで、
中身は遠い昔に読んで黄色くなって眠っていた漫画を電子データ化したものである。
震災後、本の自主電子化を進捗中だ。細々と蔵書を業者に頼んで電子化(PDF)し、
PCや専用機(私の場合はAmazonキンドル)で読めるようにしているのである。

 
これはただ、狭い家に比べてむやみに本が多いので、地震で本に潰されて死ぬ前に
モノとしての本を減らそうと思ったのである。
電子化する対象となる本は基本、読了済みであまり読み返さず、

物体の本としてはあまり未練がなく
読み返すにしても飛び飛びにつまみ読みしないようなものに限っている。
だが、次々と本を出すうちに、読み終わった蔵書だけでなく

古書店で投売りされているような本も新たに買ってきて電子化して読むようになった。
 

ただ同然で買った本は傷みや汚れがひどいものもあるが、電子化してしまえばまったく
気にならないので、電子化の手間賃を払っても非常に安値で本が手に入るのである。


本を電子化してしまって良かったのは、

もちろんホコリのたまるモノが減って家の中にスペースができたこと。
本棚にスペースができるとまた新しい本を買って、本の新陳代謝が進むこと。
電子化した本にはOCRテキストがついているので、PCで全文検索が
可能になること(精度の問題はあるが)。

さらに死んだ後につまらない本を持っていたものだと
妙な評価を受けたり、本の始末で迷惑をかける心配がいくらか少なくなったこと。

 
もちろんデメリットもあって、機械と電気がないと読めないとか、

著作権だののこともあるので他者に気安く本を渡すことができなくなったとか、

さらには電子化された本をあれこれ読んでいて、
たまたま参照しようと思った本が紙の本として隣の部屋の本棚にあったりすると、
狭い家を移動するのでさえ、ものすごく面倒に感じることなどもある。

 
全体として、本の電子化はやむを得ない選択だと思うし、

今は自炊と称して自前で電子化している本も、

今後は初めから電子データで流通することが増えるのは不可逆的な流れだと思う。
もちろんそれでも、紙の本や雑誌はなくならないし、私も買い続けることだろうとも思う。

 
それにしても現在の電子書籍を巡る世の中の動きには非常に前時代的なモノを感じるが、勝手にやっておくれ、私は向こうで見てるから。
 

 

 

 

2011年09月18日

ぐうたらの世界の終わりと素敵な終末

テーマ:ブログ

しばらく更新をほったらかしにしていると、どこから書き始めていいものやら

迷うんだよね。とくにこの半年、あまりにいろいろありすぎて...。

  

 
今年も九月。日中の真夏の日差しも落ちたもののまだ熱の残る庭に立ち、
大きな秋の虫の声に包まれて空を見上げていると、東の空から大きな星が昇ってきた。どうやら木星のようだ。 
今夜は全天に薄雲が広がり、夜空に見分けられる星はわずかだから、
明るい木星はひときわ目立つ。

 
虫の声も、星の名も、季節のわずかな移ろいも、
気にしようとしまいと毎日の暮らしには関係ない、とも言える。この半年は気にすることが多すぎて、これからだって

気にとめている余裕があるのかわからない。明日にもまた私も誰しも荷物をまとめて逃げ出さなければならないかもしれない。

 
あるいはすでに見えない脅威に侵されているから、
俗世の心配こそもう余計なものだという考えもあるかもしれない。私はこれからグラスを片手に星を眺めて終末を眺めて笑って暮らすのか、それともよくわからない何ものかと戦い続けるのか。

 
たとえ明日人類が滅びると知ったとしても、最後まで尊厳を失わず穏やかに暮らせるかわからないけれど、たぶん、仕事して、デモに行って、酒飲んで、怒ったり投げ出したり、後回しにしたりして、そんで家族と笑って過ごしたいものだ。
明日も。

 



2011年01月29日

何となく毎日を過ごすこと

テーマ:生き延びる
$酒とホラの日々。-時行

日々楽しみを追う者には時間は早く
日々憂える者にとっては時間は遅い
憂いも楽しみもない者はただ
生涯を成り行きに任せ流されていくだけ
 
白楽天の詩の一節にたしかこんな記述があった。

いわゆる閑適詩といわれるもののひとつで
無事と無為のひと時・一場面を詠じたものである。
 
閑適詩とは白楽天によれば、たとえば忙職を離れたのち、
あるいは病で床にあるときなど、一人静かに足るを知り
心の調和を保って、自由に遊ばせたこころを詠吟する
ようなもののことであるらしい。
 
閑はヒマなこと、適とは自由なことであるから、
社会的な義務制約や条件付けに縛られない
純粋な一個人としての活動における情感を
詩に詠んだものとでも言えようか。
 
凡俗の身にはしばしば楽もあれば憂いもあって
人生は早くなったり遅くなったりはするが、
結局のところやはりどうしようもなく
時代と成り行きに流されていくのである。
2011年01月22日

冬林行

テーマ:冬景色
$酒とホラの日々。-冬林


薄雲から弱日のもれる冬空の下、裸枝も寒々とした林の中を歩いた。
身をすくめるようにして立つ木々の枝の間から
冷たい空気がじわりと降りてくる。
肩をすぼめて歩く私も木も、いまはただ春待つ日々。

かすれ日に 風しみ透る 冬木立




2011年01月15日

冬晴れの日々

テーマ:冬景色


酒とホラの日々。-冬晴れ

冬晴れの空の下、葉の落ちきった木立を歩けば
乾いた風が木々の間を野放図に吹きぬける。
梢の間からはぽっかりと明るい空だけがつき抜けて、
体を包み込むのは、枝を鳴らす木枯らしの音だけだ。


このとき光は冬に似つかわしくないほどにまぶしく、
絶え間ない冬風の音は静寂にも似る。


人のいない木々の間を縫って移動する冬の散歩で、
明るさと冷たさと奇妙な静けさのコントラストを体中で感じながら
私はいつも一時の快楽を得ようとしている。


それは無人の木立で出会う光と静謐さが、
絶えずまとわりついてはなれない社会生活のノイズをいっとき遮断して
次の行動のエネルギーを充填する間ときっかけを与えてくれる
ような気がするからかもしれない。


何故私たちはいつも多くの決め事や社会的義務、あふれる情報などに
追い回されては忙しく、努力と我慢と疲れとに縛られてまで
始終疾走していなければならないのだろうか?


冬枯れの草木も外への繁茂を止めて内からのエネルギーを
春の活動に備えているように
人もまた立ち止まり、一切の社会的義務と条件を放下して
素のままの自分という存在だけに立ち返ってみることが必要だろう。


それは春に芽吹く草木には冬が必要なようなものなのだ。



2011年01月06日

小寒、仕事始めから三日

テーマ:冬景色

正月三が日の明けて3日目の今日は寒の入り。寒さも通勤の混雑も一段と本格化してきた。
年末年始を挟んで、なんとなく電車を待つ駅のホームの眺めが変わったように感じると、いつも見かけたあの娘やあの年寄がいない。

通勤客の多くは習慣的に、おおよそ決まった時刻、決まった電車の決まったホーム位置にやってくることが多いので、私たちは知らぬ間に互いが見慣れた朝の風景を構成する要素となっているのである。

行き交う人間は多いのだが、中でも独特の雰囲気や存在感、眺める側の興味と関心によって、特定の幾人かは印象的な風景の一部となることがある。それはほんのちょっとした仕草の端正さや、清潔感、ほのかにたたえた笑みなどによって得られることも多い。

もし私たちがそれぞれ日常の一場面に少しでも好感の持てる空気を放つことができれば、きっと世の中の雑踏や他人の多い街中で感じる、殺伐とした緊張感も和らぐことだろう。

できることなら、私も良い意味で印象的な風景要素でありたいものだ。着飾るわけでなく、自然な佇まいと雰囲気で。そんな空気を放つ私でありたい。





2011年01月04日

仕事始め

テーマ:ブログ

この三が日はとことん寝正月で、食う寝る以外の人間活動は休止していたため、仕事始めの今日が実質的に年の初めの日である。

古来日本では、年の初めには穏やかに新年をお迎えするために、あまり好ましくない言葉を用いるのを避けて、正月用の特殊な言い回しをすることがあった。これを忌み言葉といい、たとえば降雪や降雨のことを「御降(おさがり)」と言ったり、家に現れるネズミのことを「嫁が君」と言ったりしたのである。
 
実に奥ゆかしい風習だと言えよう。
私もこうした年の初めの習わしにあやかり、穏やかに一年を始めたいと思っていたものである。が、いかんせん、大日本下品党のサガゆえか、仕事始めの今日からブリブリ怒ってアドレナリンを大量分泌するわ、食い過ぎて弱っていた胃に変調を来すわ、同僚にはドン引きされるわで、まあ私のいつも通りの年初となった次第である。
 
頭に血が上り、肩を怒らせ、眉間の筋トレをしながら通りに出ると、相変わらず東京の路上は埃っぽく空気がよどみ、道行く男も女も不機嫌そうな顔をして歩いているのを見て、私もまたしばらくは気分が安定しないままあることが予想された。ところがふと、そこで若いカップルとすれ違ったのだが、彼らがまるで何の屈託も不満も知らないかのように生き生きとにこやかな笑みを浮かべているのを見ると、瞬時に私の憤りも面倒な気分もどうでもいいことのように思われてきた。
 
生き生きとした明るい表情というのはいいものだ。これは若い恋人たちの特権という訳ではないはずだ。誰にだってできるはずなのに、なんと世の中の多くの人は年中不景気な辛気くさい顔をして歩いていることか。

今年の行動目標の一つには、ぜひ生気に満ちた明るい表情を心がけることをお勧めしたい。理由なんてない。実行には面倒くさがりや怠惰を振り払う小さな努力もいるかもしれない。だが実行できればきっと、ご利益はあるに違いないと思うのだが、どうだろう。
2010年12月25日

クリスマス済んで繰り越す古手帳

テーマ:冬景色


酒とホラの日々。-アフタークリスマス

今朝は寒波が流れ込んで
白い息が凍り付きそうなほど一気に冷え込んでいた。

昨夜からの雪でホワイトクリスマスとなった
ところも多いことだろう。

 

イブの賑やかさから明けて黙々と
手帳の繰り越しなどをしていると
もう一年経ってしまったのかと改めて
飛び去る歳月の早さに感心してしまう。
 
私の手帳はスケジュール帳でもあるが、
誰かの予定に振り回されるのはごめんだから、
自分のやりたいこと、実現したいことをどんどん書いていって
それにあわせた行動を具体化していく。

押しつけの予定は残った余地にしか書かない。
当たり前のことだがこれが、自分の身の回りの人生を
快適にコントロールする基礎だ。

 

今日はクリスマスで年賀状の正規受付の期限だったらしい。
仕事の御用納めはまだだが、出入りの関係各社の挨拶も
だいたい先週のうちに済んでいるから
あとは清々と年の暮れを過ごし、新年を迎えるだけである。




2010年12月23日

実感がないけれど今年ももうすぐ暮れていく

テーマ:生き延びる

今日も東京は快晴でこの時期にしては気温も高く、あれ?もう春になるんだっけ?と錯覚を起こすほど季節感がない。もう歳末なのであるが。それにしても今年はリーマンショック以来の大不況という社会的病が膏肓に入るのを目の当たりにして不景気な話題に追い立てられた一年だった。
 
世間では恐慌という言い回しはまだこの先の底にとってあるようだが、いつまで経っても持ち直さない景況とあまり危機感の無い世間の空気を見ていると、よけい漠然とした不安にとらわれることもある。だから何かやっているかというとそうでもないのだけれど、この先は日本も世界の大部分も「生き残り」が私たちの最大の目標になることもあるかもしれない。そんな漠とした不安を抱えた年の瀬でもある。
 
その恐慌と云えば有名なあの1929年の大恐慌だが、そのあと歴史の教科書などではよく経済社会の立て直しとしてアメリカがニューディール政策などを行ったことなを目にしたことと思うが、その成否についてどうなったのか、教科書の記述に何かあったようにも何か習ったような記憶もない。
実際のところ、大恐慌の後、ニューディール政策などの積極公共事業てこ入れもむなしく、さらに恐ろしい「二番底」がやってきて、結局は第二次大戦へとつながって経済立て直しは戦争による決着と解消を待たなければならなかったのである。
 
現在の世界を覆う不況もまた二番底がやってこないとは言えない。リーマンショックは実需を上回る大規模な投機によるバブルの自爆だったが、この自爆を招いた環境はさして解消されていないからである。

 
アメリカもどこもゼロ金利で過剰な金が投機口を求めてうごめいているうえ、GMの破産の顛末に見るように合法的な保険金殺人のような投機筋に倫理はない一方で投機に対する規制は遅々として進まない。

日本は借金の上に借金を重ねて金をばらまこうとしているが、借財がかさんで国家財政が弱ったらそれこそギリシャやアイスランドのように投機マネーに売り浴びせられてとことん毟られる。

 

歴史的には短期的な借金の解消はハイパーインフレが戦争だが、かたや、戦争のネタには事欠かず、北朝鮮もアフガンも恐ろしければ、核開発を進めるイランに対するイスラエルの先制攻撃(実際前科がある)も大規模な戦争の引き金にならないとは言えない。
 
世界経済や地球がほんの少し身震いしただけで吹き飛ばされてしまう零細市民にできることは限られているが、「身の丈にあった堅実な生活」をして日々の身近な暮らしを守り、どんな逆境にも耐え生き延びる知恵こそがこの先まず初めに必要になることだろう。

 

穏やかな冬晴れの空のむこうに見える黒点に、そんな展望とも妄想ともつかぬ思いが見え隠れして今年ももうすぐ暮れていく。






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