憂い顔の人面瘡(じんめんそう)      (ホラーファイル№010) | 酒とホラの日々。

憂い顔の人面瘡(じんめんそう)      (ホラーファイル№010)

昔、当時小学生低学年の私たちは近所の裏山で宝探しをすることが時々あった。
裏山といってもその実、山というほどもない小さな隆起で、しかも国道の拡張のためにだいぶ削られて雑木林の反対の斜面は落石防止のためコンクリートで固められて無粋な光景を呈しているのだった。


ただ、この山には昔地元の領主の砦があったが、他国に攻め落とされるときに黄金三千枚を埋めたという言い伝えがあって、確かに山腹には低い土塁のようなものの名残があったのだ。
眉唾物の伝説を頼りに、埋蔵金探索と称して低い山の林の中を駆けずり回って遊んでいたのだが、山はまだ見ぬ埋蔵庫への秘密の入り口や、盗掘を防ぐ様々な仕掛け、さらには黄金を守る妖怪や武士の怨霊が跋扈する場所だった。みんなそう信じていた。

ある夏の夕暮れ時、薄暗くなった林の中で、突然タダシが悲鳴をあげた。
どうやら犬のウンコを踏んでしまったのだが、そこは落ち武者の怨念の憑りついた人面犬が出没する林で、人面犬のたれる人面糞(じんめんくそ)を踏んだ者は人面瘡(じんめんそう)になると言われていて当時の小学生はみんなこれを信じていたのだ。

人面瘡とは初めはただのできもののようだが、しだいに盛り上がってこぶのようになって人の顔のような有様を呈してくる。さらに症状が進むとぶつぶつとモノを言うような音を立てたり開いた傷口がモノをくわえ込んだりする。やがて人面瘡がしだいに大きくなるにつれ人間本体のほうはやつれていって、終いには大きくなった人面瘡のこぶが残り、本来の首がまるでイボでも落ちるようにポロリと取れてしまうといわれていた。


「うわーん、オレ、もうだめだあー」と泣きじゃくるタダシの足元を見ると、
なるほど確かに踏んづけられた何物かがあった。
大変だ、ここは救急車を呼ぼうとサトシが大人を呼びに走り、私とタカシは歩けなくなったタダシを抱えて山を降りたがもちろん例の人面糞も一緒だ。病状と治療の特定のためには必要だろうと考えたのだ。
なんとか山を下ると、上り口の国道脇にはすでに救急車が待機して大人が二人立っていた。


症状を説明しブツを差し出したあとの、大人たちの態度が一変したこと、その後の叱責されたことやその顛末はよく覚えていない。

ただ、数日後の二学期の始業式で校長が、
「うんこ踏んだからといって大騒ぎするのはばか者だ、みんなはくだらない空想に関わらずに、一生懸命勉強をしなければならない」

というような訓示をしたことだけはよく覚えている。
私たちは、あれはうんこではなくて、妖怪人面犬の人面糞なのに、とも思ったが、それもすぐに忘れた。

それからなんとなくみんな裏山で遊ぶことに遠慮が入るようになり、迫力やスリルがなくなって、人面犬も人面瘡も話題に上らなくなってしまった。

あのとき以来、私たちの世界からは妖怪や埋蔵金は消えて、
それはただテレビが与えてくれるだけのものとなってしまったのだが、
いなくなったのは妖怪や埋蔵金だけではなかったのだ、と気づいたのはもっとずっと後のことだ。

そしてずっと、今も私たちは妖怪も埋蔵金も隠し扉もない乾いた道を歩いている。