□医療者とのコミュニケーション
よくある相談が医師とのコミュニケーションに関することです。
主治医が質問をしにくい空気を出したり、患者さんの話に耳を傾けず、一方的に話をしてしまい、患者さんやご家族が話せない、話し難いという話をよく聴きます。
なんででしょうか?
医師と患者という関係
医療という専門性の高い情報を持っているものと持っていないもの
など患者側が恐縮してしまったり、
患者は医師にすべて委ねれば良いという医師側の
医療パターナリズム(父権主義)も原因の一つでしょうか?
また、3分診療と言われる限られた時間内の中での相互のコミュニケーションをとる難しさもあるかもしれません。
先週末の相談は医師側の医療パターナリズムの強さに悩んでいる患者さんでした。
他の病院に行ったら、もう、うちでは治療しないよ。
治療が進まないようだったら緩和ケアしかないかな。
うちでは世界中の情報が集まるから、今が最善、他の病院行っても無駄だよ。
と言われたそうです。
心ない言葉。患者さんは半分笑いながら話していましたが、傷ついていました。医師から患者さんの伝え方って大事ですね。患者や家族への伝え方など最近はロープレなどやっているようですが、まだまだ一部ですし、たとえ医療界全体に広がったとしても、医師も人間ですからコミュニケーションのトラブルは無くならないと思います。
今までの歴史からくる医師の習慣を変えたり、
医療界全体のコミュニケーション向上の時間を待つより、圧倒的に自分の思考と行為を変えて納得した医療を手に入れることのが早いです。
わたしも今までの相談からの経験や医師や看護師、がん経験者の方々からのアドバイスで学んできました。
例えば
質問など事前準備をする
主治医にコミュニケーションしづらいことを伝える。
いい難い場合は同行者に伝えてもらう。
看護師、薬剤師などに主治医の変更を依頼する。
などがあります。
転院という方法もあるかと思いますが、まずは転院の前にすることがあります。
医師も悪気はあるわけではなく、今までの歴史や習慣があったり、時間のない中で能率的な作業をしたいんだと思います。
昔、弊社で講演して頂いた川越先生が言われたことを思いだしました。
治療医は患部を見て、ホスピス医は人を見る。
人そのものを見てくれない医師がいて、見放された感覚、それが医療不信になっている現状もあるのではないでしょうか?
こないだ、がんもどき理論?の医師に知人が再発をし、セカンドオピニオンに行ってきて、自身主催の講演会でその際の模様を話してくれました。
丁寧な説明や対話や最後に握手など、人間的に惹かれる要素が多かったと。
これって、先ほど書いた、パターナリズムの逆のマターナリズム(母性包容主義)なんだろなと思いました。
医療者も患者さんも本当の意味のEBM(科学的根拠に基づく医療)が機能していないんですよね。だから医療不信や医療否定が産まれ歯切れの良いトンデモ医療に入信するんでしょうね。
本来の科学的根拠に基づく医療は
・患者さんの意向
・医師の技量
・科学的根拠
が重なった部分で提供されるべきものであり、
さらに患者さんの価値観や意向を共有するために、最近ではNBM(ナラティブ・ベイスド・メディスン)も考えられるようになってきました。
※NBM(ナラティブ・ベイスド・メディスン)
”ナラティブ”は”物語”と訳され、対話により患者さんの人生や背景、病気の考えなどを理解し、全人的(身体的、精神的、社会的、人生的)にアプローチする臨床手法
私はEBMがパターナリズムな要素でNBMはマターナリズムな要素があるんではないかなと思います。
家庭はお父さんとお母さんがいて、それぞれが役割分担をしています。もちろんお父さんやお母さんが両方の役割をしている家庭もあります。
また、頑固な親には子供が歩みよらないと、話は前には進みません。
医療も同じかもしれません。
人と人ですから一筋縄でいかないことがたくさんあります。
医療者が、すべてをやってくれる妄想は捨てて、
お互いにより良いコミュニケーションに努力することが大切ですね。
私は豊かなコミュニケーションにより、より良いがん医療を手に入れられることを理解しています。