こんばんは、滝野です。
体調が良くなかったですが、快方に向かっています♪
少し前に、映画『かみさまとの やくそく』を観て来たので
今日はその感想を書きます。
1年前の今くらいに知って、観ようとしたけれど
タイミングじゃなかったのか、実現せず。
1年越しの鑑賞となりました。
映画では、複数の子が
お母さんの胎内にいる時の記憶や、
宿る前の魂(光の玉とお子ちゃんが表現していました)だった頃に、
お母さんを選んだ時のこと、を語っていました。
前世の記憶を語る子もいました。
お腹の中にいる時、赤ちゃんは生物学的にも物理的にも
お腹の外の景色は見えないと思われているけれど
お父さんやきょうだいの顔も、住んでいた場所も見えていて
それを言葉が話せるようになってからお母さんに話す子もいるそうです。
映画の中で印象的だったのは、
①
子供は、この世に生れ出てからが命の始まり・スタートと思いがちだけど
受精した瞬間から命は始まっている、ということ。
例えば、流産や死産があると
悲しみ、お母さんは自分を責めてしまったりする。
でも、生きて産まれ出る事ができなくても、お腹に宿っただけでも
命が生きたということで、意味があるらしい。
お子ちゃんは全員、お母さんを幸せにしたくて生まれる。
(もちろん、使命を果たすため、とかもある。
あの世で魂(子供たち予備軍)たちは
モニターに映し出される女性の中からお母さんを選び、
「この人のところに生まれたい」って決めて、お腹に降りて来るって
多くの子供たちが証言したり、絵に描いたりしていたのね。
で、立候補が複数になって、私も私もー!ってもめる事があるらしいんだけど(笑)
そういう時は、前回の命の時に流産などで、あの世に早く戻ってきてしまった子が
優先されると言っていました。
②
お子ちゃんは、言葉を巧みには話せないけれど
何もできない、感じてない存在ではない。
一人の人格だということ。
口出しや指示出し、教え込まないと何もできない存在として接するのと、
この子は自分の感性や考えを持って生まれてきている、と思って接するのでは
全然違う。
③
映画の中のお話や、上映後のトークでも印象的だったのは
肉体があることで不自由なことも沢山あるけど、
肉体を持たないと経験できない事がたーーーーくさんある、ということ。
五感(視・聴・嗅・味・触 覚)は、肉体があればこそ感じられる。
私が得意な( ̄▽ ̄) 寒い、も肉体あればこそ肌で感じられる。
肉体の感覚や感情をディズニーランドのように楽しく体感するために
私たちはこの世にやってくる、みたい(*´ω`*)
この映画を見てしばらくした後、
【死】というものを、前よりフラットに考えている自分に気付きました。
この世で一緒だったり関わった人からすると、
誰かの死は、悲しい、寂しい、辛いものになったりもする。
暗い、重いもの、と捉える人もいる。
そもそも私は、
人や動物であっても【死】というものに弱く、
過剰反応しちゃうところがあるんですけどね(^_^;)
でも、死って、肉体を離れて、また魂に戻っていくだけの事かもね。
人は、【死】に、色々な意味や、重さ、ニュアンスを付けがちだけど
生命として、生まれる、死ぬ、というのはとても普通で自然なこと
なんだよね。
この映画を見て変わったこと・心境って
自覚できてないところにもきっとあって、
今後気付く事もありそうだなって思います