中に入ると鬼平犯科帳or必殺仕事人の風景?…深川江戸資料館の周辺を散歩する♪ | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

中に入ると鬼平犯科帳or必殺仕事人の風景?…深川江戸資料館の周辺を散歩する♪

清澄白河の駅で地下鉄を降りてみた♪

清澄3丁目交差点にて本ブログ管理者2017.2.19撮影

高橋(たかばし)と、その周辺

小名木川に架かる全長43.8mの橋。

江戸時代の小名木川舟運における船着場からの歴史を受け継いでいる。

現在は水上バスなどの定期船は運航していないが、貸し切りの遊覧船、カヌーの体験教室等で一般にも開放されているようだ。

1590年頃、江戸城を居城に定めた徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田(現在の千葉県行徳)に目を付けた。

しかし、江戸湊(当時は日比谷入江付近)までの東京湾北部は砂州や浅瀬が広がり船がしばしば座礁するため、大きく沖合を迂回するしかなかった。

そこで小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの運河を開削させたのが、この小名木川であり、川の名の由来は開削者に因むものである。

運河の開削によって経路が大幅に短縮された。

塩以外の運搬や、成田参詣客なども運ぶようになって物量が増大した。

1629年小名木川は江戸物流の重要河川と認識され、利根川東遷事業と併せて拡幅、小名木川と旧中川、新川の合流地点には「中川船番所(■本ブログ内関連記事参照)」が置かれた。

新川、江戸川、利根川を経由する航路が整備されると、近郊の農村で採れた野菜、東北地方の年貢米などが行き交う大航路となった。

開削とほぼ同時期に、

川の北側を深川八郎右衛門が開拓し深川村が成立し、

慶長年間に川の南側は、埋め立てられ海辺新田となり、以降、江戸時代を通じて埋め立てが進んだ。

やがて小名木川を中心に竪川や大横川、横十間川、仙台堀川などの整備が進み、これらの河川は重要な運河の1つとして機能した。

(東京都江東区高橋にて本ブログ管理者2017.2.19撮影)

深川資料館通り商店街

深川資料館通り商店街協同組合は、昭和36年に法人化された、東西に延びる約800mの長さに、おおよそ100店ほどの商店が建ち並ぶ近隣型の商店街。

東京メトロ半蔵門線、および都営地下鉄大江戸線の「清澄白河」駅より徒歩で2分ほどの好立地で、近所には清澄庭園や木場公園、小名木川などの観光スポットや、東京都現代美術館、それに商店街の名前の元にもなっている深川江戸資料館などがある。

□外部リンク参照

(東京都江東区三好1丁目にて本ブログ管理者2017.2.19撮影)

昔ながらの店が建ち並ぶ下町情緒を残した街並み

数々の歴史ある寺社仏閣、史跡に囲まれた、

深川の人情あふれる商店街を散歩する♪

(東京都江東区三好1丁目7−5/本ブログ管理者2017.2.19撮影)

出世不動尊(長専院不動寺)

近江三井寺の不動堂住職期妙の夢の中に本尊の不動尊像が現れて 「手助けをしたいので江戸に連れて行くように」とお告げがありました。

当時は霊巌寺の工事中であったが、お堂を建てて安置したところ工事も順調に進んだことから、後に不動寺に安置され上人から 『出世不動』と命名されたのだそうだ。

1653年この地に移転、関東大震災後に長専院と合併し、それ以来「深川の出世不動」として広く信仰を集め親しまれている。

(東京都江東区三好1-6-3/本ブログ管理者2017.2.19撮影)

霊巌寺

現在の福島県白河市を本拠とした陸奥白河藩の第3代藩主で、1787年から1793年まで「寛政の改革」を進めた老中 松平定信の墓がある浄土宗の寺(国指定史跡)。 

火事に遭ったため1658年に元々の場所であった現在の東京都中央区の京橋地区に該当する霊岸島から移転したものだといわれている。

松平定信は江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たる。

諸国大名に対し米の備蓄を唱えた「囲米」に代表される「寛政の改革(かんせいのかいかく)」は、享保の改革、天保の改革とあわせて3大改革と並称されている。

(東京都江東区白河1-3-32/本ブログ管理者2017.2.19撮影)

深川江戸資料館

江戸時代末期の天保年間における深川佐賀町の町並みを想定復元した実物大ジオラマの常設展示があることで有名な郷土歴史資料館。

□外部リンク参照

鬼平犯科帳や必殺仕事人など、テレビでお馴染みの時代劇における風景を想い起こさせる光景が、館内に広がっていた。。。

文政11(1828)年の記録によると、江戸の平均的な店借率(長屋住まいの借家人)は、約70%に達しており、とりわけ深川地域は82.5%を占めており、江戸市中で最も高い割合であったそうだ。。。

こうした人々の生業は棒手振と呼ばれる小商人や小職人であり、決して裕福な暮らしではなかったが、都市生活を支えたこれらの職業を生業とした深川の長屋に暮らした人々は、江戸市中の発展に欠かすことの出来ない存在であった。

(東京都江東区白河1−3−28/本ブログ管理者2017.2.19撮影)

「火の見櫓」前にある広場の茶店・床店ではイベント開催

この日は、松浦奈々恵氏(写真)・布施田千郁氏による

三味線の長唄演奏が行われていた。

三味線は室町末期(16世紀後半)に琉球の三線(サンシン)として大阪の堺にもたらされた楽器で、中国(明)の三絃をルーツとする。

江戸時代に入ると、歌舞伎音楽の発達とともに、江戸の町文化として三味線音楽も盛んになり、三味線自体も「粋さ」が盛り込まれるようになったのだそうだ。

(東京都江東区白河1−3−28/本ブログ管理者2017.2.19撮影)

この商店街には古本屋が目立つような気がする。。。

東京現代美術館と深川江戸資料館を結ぶ1本線の通りであるということも、やはり「文化系」の立地に影響されているのだろうか?

(東京都江東区三好2-13-2/本ブログ管理者2017.2.19撮影)

「深川いっぷく」付近現況
2006年、深川資料館通り商店街が地域活性化の拠点として、元々は調剤薬局の跡地で、空き店舗対策事業での立ち上げスタート。
当初は毎週曜日別の日替わりで女性4人の異業種起業家が相互に運営
宝理仏蘭西菓子店の単独運営(上記4人のうちの1人)の時代を経て
2016.6.5より3代目オーナー・藤田麻衣子氏(同じく、立ち上げの4人のうちの1人)の「どうぶつしょうぎcafe いっぷく」として生まれ変わり、現在に至る。
(東京都江東区白河3-2-15/本ブログ管理者2017.2.19撮影)