“巨大な壁”の街を抜けて・・・夏の終わり、赤塚公園まで散歩する♪
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高島平団地
高島平団地への入居開始は1972年(昭和47年)から始まった。
高島平団地の総戸数は10,170戸、人口2万人超。
(東京都板橋区高島平2丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
高島平の名称由来
1841年(天保12年)、この地で砲術家・高島秋帆が日本で初めての洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行った。
その後、長らく「徳丸ヶ原」と呼ばれる農作地だったが、
1956年(昭和31年)に同地域330ヘクタール(3.3k㎡)を日本住宅公団(現・都市再生機構)が買収して一大団地を建設する計画を進め、同時に東京都が都心に直結する交通機関(都営地下鉄6号線、現・都営地下鉄三田線)を整備した。
1969年(昭和44年)、高島秋帆にちなんで「高島平」と改称し現在に至る。
現在、周辺戸建て分譲地等を含めたこの地の総人口は約5万人。
(高島平緑地公園にて本ブログ管理者撮影)↑
高島平団地2-29-2
2つの建物を背中合わせに繋いだ構造になっている賃貸の住棟
(東京都板橋区高島平2丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
おまわりさん通り
高島平団地入居から5年経った昭和52年6月、当時の公団がつけた高島平団地地域の公園・広場・通りの名称が「A地区」など無機質だったことに対し、地元のミニコミ紙(高島平新聞社)が住民から「通り名称」を募る。
当時、決定した名称の提案者には賞金が出ることもあり、団地住民から2,268件ものネーミング応募が集まり、この時に決められた40ヵ所の名称は「さくら通り」「けやき通り」「お山の広場」「けやき広場」「おまわりさん通り」など今でも地域に浸透している。
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但し、肝心の「何故、交番も無く警察署(高島平署)のある通りからみて裏手の通りなのに、“お巡りさん通り”なのか?」についての答えはどこにも書いていない。。。
□外部リンク「高島平新聞社(公式HP)」参照
(東京都板橋区高島平2丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
赤塚公園通り
第1種中高層住居専用地域(200/60)
2丁目は全て「高層・賃貸」の住戸配置。
(高島平2丁目歩道橋にて本ブログ管理者撮影)↑
高島平団地噴水広場
駅に近くスーパーや中央商店街に面する団地の中心街区。
(東京都板橋区高島平2丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
高島平団地「中央商店街」
高密度居住形態なので、結構賑わっていますよ♪
他所の団地内商店街は寂れたシャッター通りになっている公団の事例がかなり多いですけど、ここ高島平は「例外」。
(高島平団地噴水広場にて本ブログ管理者撮影)↑
ちなみに、高島平2丁目の人口密度は297.7人/ha
13,693人/0.46ha
(平成26年1月1日現在の住民基本台帳)
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高島平団地中央商店街にて本ブログ管理者撮影↑
3丁目は中層と高層が混在する「分譲」の街区
私が現住する埼玉県内の賃貸住戸とほぼ同じ構造の、
5階建て中層建築が高層棟に隣接して建ち並んでいました。
■本ブログ内関連記事参照
(東京都板橋区高島平3丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
裏側に回るとエレベーター部分の凸が目立つ。。。
ちなみにエレベーターが設置されているのは高層棟のみ。
中層棟は基本的に階段だけ・・・というのは他の公団物件と同様。
(東京都板橋区高島平3丁目にて本ブログ管理者撮影)
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ちなみに本ブログ管理者も
実は公団賃貸のエレベーター無し5階建て5階居住者の1人(笑)↑
都立赤塚公園
東京都公園協会が管理する「風致公園」
(東京都板橋区高島平3丁目にて本ブログ管理者撮影)↑
赤塚公園に咲く向日葵
ちなみに「風致公園」とは、特殊公園のうち、主として風致(自然の風景などのおもむき、味わい)の享受の用に供することを目的とする都市公園であり、樹林地、湖沼海浜等の良好な自然的環境を形成する土地を選定し、配置された公園のことを言う。
(東京都板橋区高島平3丁目にて本ブログ管理者撮影)
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自然公園(国立公園、国定公園、都道府県立自然公園)との違いは、
「自然公園」が土地の権原に関係無くその指定区域内の風致を維持するための厳しい制限を行い「優れた自然の風景地を保護」する“純然たる自然公園”であることに対して、
都市公園である「風致公園」は、原則として設置者に土地の権原があり、風致の享受の用に供するため、自然地理的条件を活用した修景施設を中心に配置された営造物公園(人工の公園)である。
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但し「天橋立」は、“自然公園”と“風致公園”のどちらにも該当するという例外事例なのだそうだ(余談ではありますが、本記事最後の締めくくりとして記す)