世界遺産と県境を散歩する♪。。。田島弥平旧宅とその周辺、、、 | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

世界遺産と県境を散歩する♪。。。田島弥平旧宅とその周辺、、、

伊勢崎1408132940
先ずは県道258号(東側)の県境にて、、、
ぱっと見「50m先」と読めますが、よく見ると「5.0m」=すなわち5m西側の県道に交差する細い道路が県境であることがこの標識からわかります。

埼玉県道・群馬県道258号中瀬牧西線(さいたまけんどう・ぐんまけんどう258ごう なかぜもくさいせん)は、埼玉県深谷市と本庄市を結ぶ一般県道。途中、少しだけ群馬県伊勢崎市を通過。。。
(埼玉県深谷市中瀬=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影)伊勢崎1408132944
地図で見ると、この1画だけ埼玉県の「飛び地」であるようだ。。。
(群馬県伊勢崎市境島村にて本ブログ管理者2014.8.13撮影)伊勢崎1408132951
続いて、県道259号の県境にて、、、
普通、起点標は終点方向へ向かって道路左側・・・
この場合は埼玉県による設置であり、埼玉県側のJR高崎線「岡部駅」が終点なので、埼玉県側に直面して道路左端にあるのが「定石」なのですが、ここは逆の位置(群馬県=起点側に直面して道路左端)に設置されている珍しい例です。

群馬県道・埼玉県道259号新野岡部停車場線(ぐんまけんどう・さいたまけんどう259ごう しんのおかべていしゃじょうせん)は、群馬県伊勢崎市(旧境町)と埼玉県深谷市(旧岡部町)の高崎線岡部駅を結ぶ一般県道。
(埼玉県深谷市横瀬=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影)

伊勢崎1408132946


ちなみにこちらは群馬県側の地点標。
県道258号から分岐して僅か160mの地点で県境を迎えていることがわかります(要するに、ここが群馬県側から見た場合の「終点」)。

群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影
伊勢崎1408132947


宗教法人日本基督教団島村教会「島村めぐみ保育園」
昭和25(1950)年建築/1953改修・1954増築
木造平屋建、瓦葺及び鉄板葺、建築面積163㎡
群馬県伊勢崎市境島村2509-2
ちなみに、教会自体の建立は明治30(1897)年。
□外部リンク参照

群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影
「島村の渡し」に近い駐車場へ警備員に誘導され停車。。。
(群馬県伊勢崎市境島村=地図中「C」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影)

島村渡船(しまむらとせん)は利根川によって分断されている群馬県伊勢崎市境島村地区(旧佐波郡境町島村)内(地図中「C」―「」間)を結ぶ渡船。
島村地区は河川改修などによる流路変更によって地区の真ん中を利根川が貫流しており、付近に橋がないことから住民の交通の便のために運航されている。
(運賃無料)
もとは群馬県道295号「新地今泉線」(現「境島村今泉線」)代替の渡船であり、群馬県営であったが伊勢崎市(以前は境町)に運航が委託されていた。
2012年4月1日に渡船区間のみが県道から伊勢崎市道に移管(渡船区間は「県道」としては供用廃止)されたため、渡船も運営主体が伊勢崎市に替わった。
運行時間は午前8時30分 - 午後5時(随時運航)、但し昼休み(12時 - 13時)および河川の増水や風速8m以上の強風など運航に支障きたす場合は欠航となる。伊勢崎1408132963
伊勢崎市立境島小学校の校章は、
蛾と繭(蚕)を桑の葉で模ったデザインになっています。

地域ボランティアガイドの説明によると、
現在の群馬県伊勢崎市境島村地区は、かつて利根川の洪水が幾度となく押し寄せ、上流からの砂礫層から成る地質であるため、稲が育たないのだとか。
なので、この地域の昔の農家は養蚕(蚕種)の生産に携わったらしいです。
水田と違って江戸時代の年貢負担も軽かったのだそうです。。。
(群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影)伊勢崎1408132965
地図中「」―「」間にある比較的新しい一戸建て住宅から成る団地は、
昭和63年まで現存したかつての蚕種組合の跡地なのだそうです。。。
児童遊園には石碑と桑の木がありました・・・・・
(群馬県伊勢崎市境島村にて本ブログ管理者2014.8.13撮影)伊勢崎1408132970
いよいよ、
富岡製糸場絡みで今回世界遺産に指定された「田島弥平旧宅」の敷地内へ…
井戸の石積みによる嵩上げは、
やはり、この地が洪水常襲地であることを考慮したもので、
上流から流れてきた石を使っているのだとか、、、
(群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影)

ちなみに、今回の世界遺産指定は、
「日本の近代化に貢献」というよりも、むしろ、
田島弥平らによる養蚕環境の改善と、富岡製糸場による機械化により、
安価で高品質な糸を一定の規格で大量生産することに成功し、
その結果、世界(特に欧米)のファッション市場を開拓した・・・
こういった側面での指定の意味合いが強いのだそうです。。。伊勢崎1408132973
「田島弥平旧宅」の特徴は、屋根上に見られる櫓(幅1.8m×高さ2m)
現在は塞がれてしまっていますが、以前はこの櫓に窓があり、
この窓を真夏には開放して、2階にある蚕室内の温度湿度の上昇を防ぎました。
こうすることにより、適温・適湿を保ち、蚕種生産の安定化が図れたのです。
(群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影)伊勢崎1408132975
文久3(1863)年建築の主屋(おもや)は、木造「総2階建て」の切妻造で、
間口24m×奥行9mの大きな建物に大きな開口部(窓)を組み合わせる為
柱が太い構造になっているのだそうです。
何となく、全面ガラス張りで開口部が広い真四角の近代建築に
相通じるところがあります。

但し、現在も末裔の方が実際に生活している家(個人宅)ということで、
見学範囲は庭まで(室内立ち入り厳禁)。
敷地内へ入るだけの入場料は無料ですが、
見学時間は午前9時から午後4時までに制限されています。
詳しくは田島弥平旧宅案内所(TEL 0270-61-5924)まで。

群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影伊勢崎1408132976
屋根瓦の紋章で、
田島弥平と、当時の皇室や明治政府との関係の近さがわかります。
(群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影)伊勢崎1408132982
田島弥平旧宅周辺(集落内)の様子
周辺は畑作地帯(本記事内既出)が広がっています(水田無し)。
また、田島弥平旧宅と同様構造を持つ養蚕(蚕種)農家が建ち並んでいます。
(群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」―「G」間/本ブログ管理者2014.8.13撮影)伊勢崎1408133054伊勢崎1409153339

地域のすぐ南側には埼玉県との県境が迫っています。。。
(群馬県伊勢崎市境島村=地図中「」―「G」間)

伊勢崎1408132989
県道258号(西側)の県境に出て本日の探索終了!

埼玉県本庄市宮戸=地図中「G」地点/本ブログ管理者2014.8.13撮影