ヘルシーな癒しを求めて・・・菖蒲だけどラベンダー&紫だけど緑の散歩道、、、 | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

ヘルシーな癒しを求めて・・・菖蒲だけどラベンダー&紫だけど緑の散歩道、、、

見沼代用水1407012692
埼玉県久喜市菖蒲総合支所前のラベンダー畑
(↓地図中「A」地点にて本ブログ管理者2014.7.1撮影)菖蒲仲橋1407018888
菖蒲「中橋」/地図中「D」地点
(グーグルマップに本ブログ管理者加筆&2014.7.1撮影画像添付)

見沼代用水1407012682
「菖蒲仲橋」といえば、路線バスの行き先表示で地元民馴染み。。。
(地図中「D」地点にて本ブログ管理者2014.7.1撮影)

見沼代用水1407012691
菖蒲橋(あやめ橋)/星川・見沼代用水共用区間と県道5号旧道
(地図中「C」地点にて本ブログ管理者2014.7.1撮影)

菖蒲1407012687  
見沼代用水と県道の用地界/地図中「C」地点
(埼玉県久喜市菖蒲町新堀にて本ブログ管理者2014.7.1撮影)

見沼代用水は現在の埼玉県行田市付近の利根川(利根大堰)より取水され、東縁代用水路は東京都足立区、西縁代用水路は埼玉県さいたま市南区に至るが、行田市内で一級河川の星川に合流し、星川内は流路を改修して使用し、久喜市菖蒲町上大崎(=地図中「A」地点付近にある十六間堰八間堰=すなわち星川と用水の流量分岐比率66:33)にて再び分離するまで「共用区間」として農業用水側で管理しているようだ。

県道5号「(主要地方道)さいたま菖蒲線」は、菖蒲橋(あやめ橋=地図中「C」地点)付近における用水路沿いの細い道と旧菖蒲町の中心商店街を通過する“狭隘区間”を迂回する「星川バイパス」が、国道122号「菖蒲騎西バイパス」まで2014年3月30日に全通しており、本記事掲載写真の地点は「旧道」となる。見沼代用水1407012699

天井川化している見沼代用水/周辺田圃よりも水面が高い位置にある。
なお、水路幅は6間で開削されているようだ。
(地図中「B」地点付近にて本ブログ管理者2014.7.1撮影)

ちなみに測量は水盛りとよばれた水準測量により行われ、30間(約55m)につき3寸(約9cm)の傾斜、すなわち1/600の勾配が付くように正確に進められ、同じ埼玉県内の南西部にある「野火止用水(■本ブログ内関連記事参照)」等と同様に、流域には必要勾配条件の関係で流路を嵩上げ土盛り(天井川化)して仕上げている箇所も多く存在する。
見沼代用水1407012661

緑のヘルシーロード
緑のヘルシーロードは、利根大堰から川口市のグリーンセンターまで、見沼代用水路沿いに続いている自転車歩行者道で、見沼代用水路を改修した際、余剰地を有効利用し、サイクリングやジョギング、散策に利用できるように埼玉県が利根大堰(行田市)~川口グリーンセンター(川口市)間(東縁本線)、および上尾市瓦葺~さいたま市見沼区砂町間(西縁支線)の56.5kmを整備し、平成2年度完成したもの。
路面はアスファルト舗装又はインターロッキングブロック舗装となっている。
( □外部リンク参照/埼玉県の公式HP )

ヘルシーロードの脇を流れる見沼代用水路は、行田市の利根大堰から東京都足立区まで流れる全国屈指の大用水路で、江戸時代(18世紀)徳川吉宗による「幕府財政立て直し策」の一環として、現在のさいたま市に広がる見沼を干拓し水田開発した際、見沼(溜池=“溜井”)に代わる用水として造成されました。
埼玉・東京の葛西用水路、愛知県の明治用水とならび、日本三大農業用水と称されていて、さらに疏水百選にも選定されているのだそうです。

(地図中「E」地点にて本ブログ管理者2014.7.1撮影)見沼代用水1407012704
この付近(埼玉県蓮田市閏戸/地図中「F」-「H」間)では、
地形をうまく生かし台地と低地との境にある崖を天然の堤として利用し、工事量を減らす土木的工夫も見られる。

具体的には、
台地の縁(斜面)を水路の堤防へと転用することにより、築堤の量は半分になり、残りの築堤(田んぼに面した側)は、水路を掘削した残土のみで可能となるように切土と盛土の量をうまくバランスさせる工夫がなされている。
しかも台地の縁は地盤が強固であり、漏水防止のための水路底の突き固めも省力化できるなど、水路の建設には好都合であり、さらに台地の縁には田畑はほとんど存在していないので、水路の開削による潰れ地は発生せず、従ってその補償問題も起こらないという利点があったようだ。。。
(本ブログ管理者2014.7.1撮影写真にグーグルアース画像添付)見沼代用水1407012707
埼玉県蓮田市綾瀬/やっぱり水面より低い位置に家が建っている。。。
(地図中「G」地点にて本ブログ管理者2014.7.1撮影)

これだけの大工事に幕府の支出した工事費用は賃金が約1万5000両、工作物が5000両で総額約2万両に達した。
しかしながら、見沼溜井跡地に新田として1175町歩(約1160ha)が打ち出され、毎年5000石弱の年貢米が幕府の蔵に納められるようになったのだそうだ。。。