急遽更新!ブラタモリで放映★・・・御師の街「上吉田」(*過去記事更新Ver16.10) | ゆるポタで心リセット“おれ野_お散歩日記”by_✡CAMMIYA…ちょいマニアックで開運

急遽更新!ブラタモリで放映★・・・御師の街「上吉田」(*過去記事更新Ver16.10)

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ねぇ、知ってる?

富士吉田「金鳥居」の下には、昔、馬車鉄道が走っていたんだって!

金鳥居(かなどりい)は

天明8(1788)年に建てられ、その後、数度再建されている。

かつては「一の鳥居」と呼ばれ、

その付近には元文5(1740)年に建てられた庚申塔があり、

金鳥居が建つ以前の上吉田村の境(入口)を表していたそうだ・・・

また、金鳥居は吉田口登山道の起点であり、

鳥居の足元には山頂までの里程元標が、かつては建っていたそうだ。

鳥居は俗世界と信仰世界の間に建つものであり、

金鳥居から先は富士山の信仰世界であるとされていたらしい、、、
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出典

(1)富士吉田市歴史民族博物館[展示概説]p.6、64

(2)わたしたちの富士吉田市(富士吉田市教育委員会編)p.76

明治33(1900)年、下吉田(瑞穂村)―籠坂峠に冨士馬車鉄道が開業

       *須走―御殿場の馬車鉄道を通じ旧東海道本線に連絡

       (1934(昭和9)年12月1日に熱海経由の現ルート開業後は御殿場線)

       ↓

明治36年、下吉田―大月まで馬車鉄道が延び中央線と接続

大正10年、吉田―大月に軽便電車が走る

昭和元年、富士山麓電気鉄道(現・冨士急行)ができる

       ↓

昭和4(1929)年、最新式の電車が走る=モ1形

       (全長15m、前面非貫通の両運転台の電動車、2個パンタ)

       (主力編成は1977(昭和52)年から小田急からの譲渡車5200形へ

                       主電動機を供出する形で代替し運用終了)

       (冨士急行「河口湖」駅前にて静態保存)
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上吉田地区は、かつては「御師」の集住する地区で、

元亀(げんき)3(1572)年に

周辺地区(「古吉田」地区)から現在地に移転したらしい。

古い吉田の町の中心は下吉田に有ったが、富士講の隆盛と共に富士山への登山口に近い上吉田に移動、のち鉄道が敷かれると再び下吉田方面に町の重心が移動したのだそうだ。

集落の背後には浅間神社( ■本ブログ内関連記事参照  )があるが、

真っ直ぐ神社に繋がっていない(直角カーブする)のは、

東側の谷を流れている間堀川(まぼりがわ)の影響によるもの?

【解説1】

2016年10月29日放映のNHK「ブラタモリ」では、

「雪代(ゆきしろ=春の雪解け水による土石流)」が間堀川に沿って流れ、

決壊し、

川の対岸にあった元々の旧市街地「古吉田」地区が毎年被害を被る為、

街を現在地に移転させた際に

雪代が滑り下る谷と谷の間の台地に新しい街を造ったので、

谷際にある浅間神社と中心道路の軸にズレが生じたと説明があった。

【解説2】

富士吉田市上吉田6丁目73番1(上宿交差点) - 同市下吉田字新田5543番の3(富士見二丁目交差点)までの国道139号(写真該当区間)は、“指定区間外”=山梨県管理の国道。

(東側を通る「富士見バイパス」が国土交通省指定区間になっている)
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上吉田の街を歩いていると、こんな看板が散見されます。

御師(おし)」とは富士山の神霊と崇拝者の間にたち、

崇拝者に代わって祈りを捧げ、お札を配り、

登拝(とうはい=信仰登山)の際には自宅を宿泊所として提供して、

冨士信仰を広める役回りを果たした人々

(参拝者と神仏との「仲立ち」をする宗教者)

室町末期には御師の存在が記録の上で確認されており、

その頃にはすでに御師が盛んに活動していたらしい。

江戸時代の最盛期には約100軒ほどの御師が上吉田に居住

ちなみに登拝の時期は旧暦の6・7月に限られ、その間の宿泊者は基本的にはその御師の檀家であり、日取りも檀家集団ごとに一定していたそうだ。。。
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表通りから60m奥に、かつての御師の家がありました。。。

この家は、既に(数年前に)廃業しているらしいのですが、

YAHOO!の地図では今でも「旅館 富岳荘」という表記になっています。

(本ブログ管理者撮影)

かつて、富士山を振興する人々にとって、

病気の苦しみから救ってくれるのは冨士の神霊であり、その仲立ちをする御師の祈祷によって功徳(くどく)があらわれると信じられていたらしい。
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どうやら、1軒だけ、中に入って見学できるようですよ♪

富士吉田市歴史民族博物館付属施設

御師 旧外川(とがわ)家住宅

〒403-0005 山梨県富士吉田市上吉田3-14-8

TEL 0555-22-1101

開館時間9:30~17:00(入場は16:30まで) 火曜日休館、観覧料100円

外川家は、奥行き80間ほどの長大な短冊形地割りの屋敷地に建てられ、

主屋と裏座敷の2棟から構成されている。

御師住宅の特徴とも言える奥行きのある細長い形状の屋敷。
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中門を潜ると「ヤーナ川(間の川)」と呼ばれている川(水路)が流れている。

ここには、かつて小さな滝が造られ、

宿泊する富士講が、

到着や出発の際に水垢離(みずごり)を行う禊場(みそぎば)になっていた。
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裏屋敷後ろの敷地は、竹薮・屋敷林が拡がり、

屋敷神(稲荷社)や屋敷墓がある。

外川家では「高野樫」を屋敷林として植えていたようだ。。。

御師の仕事の中で重要なものの1つは檀家廻りであたそうだ。

御師は各地で冨士信仰を布教し、

信徒を得ながら信仰圏を拡大して行った。

この信徒を檀家(檀那)と呼び、御師との間に特定のつながりを持っている。

御師は毎年それらの家々を廻るが、

その際に家内安全などを冨士の神霊に祈願し、

また病気回復などの祈祷を行い、

祈祷札(きとうふだ)や牛王札(ごおうふだ)などを授与したそうだ。

( ■埼玉県志木市の事例/本ブログ内関連記事参照  )

( ■東京都北区の事例/本ブログ内関連記事参照 )

( ■東京都台東区の事例/本ブログ内関連記事参照 )
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富士山駅

山梨県富士吉田市上吉田二丁目にある富士急行

駅番号FJ16)標高809m。

2011年7月1日富士吉田駅(ふじよしだえき)より改称

駅ビル『キュースタ』は、旧イトーヨーカ堂富士吉田店・富士急専門店街

1929年昭和4年)6月19日開業(大月起点23.6km地点)

2008年乗降人員1,445人/日

富士山の吉田口登山道の御師町、富士山麓の商業地、半農半機業の村として発展してきた富士吉田市域の諸地域は、

明治から昭和期を通じて大きく変貌し、

富士吉田市は郡内地域の中核都市の地位を強固なものにした。

それを可能にしたのが大正期の北麓開発の一環として整備された馬車鉄道や電気鉄道をはじめ、戦後の交通体系の発展を背景に相次いで建設された中央自動車道や東富士五湖道路といった高速道路等の交通網だった。
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快速「富士登山電車」

1000形(京王帝都電鉄(現・京王電鉄5000系を平成5(1993)年に譲受した車体に営団=現・東京メトロ3000系廃車発生品の台車を履いた)電車を改装した観光用列車で、「青富士」車両と「赤富士」車両からなる2両編成である。

2010年3月13日より、全車着席券=(乗車区間に関わらず一律200円)車両の快速列車として運行されている。

なお、休日を除く木曜日と車両点検日は運休となり、同一時刻・停車駅で一般車両による快速列車(全車自由席)が運行される。