関所を越えて、横丁鉄道を目指す・・・三郷幸手自転車道線を散歩する♪(過去記事の画像追加更新版)
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金町松戸関所の絵図
先ずは、金町関所跡にて(↓地図中①本ブログ管理者2011.10.17撮影)
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金町関所は、金町松戸関所と称され、
水戸街道が江戸川を渡る地点に置かれた江戸の東の関所。
葛飾橋より上流へ約500m、
現在の江戸川の河川敷にあったといわれているが
ハッキリとした地点は不明なのだそうです。。。
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関所の施設がある一帯は
金町御番所町と呼ばれ、4名の関所番が明治2年まで任にあたった。
対岸との間には渡し舟が常備されていたが、将軍が小金原に鹿狩りに出かける際には、江戸川に高瀬船を並べた架設の船橋が架けられたそうだ。。。
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明治2年(1869年)に廃関となり、後の江戸川改修によって河川敷の中に消失して関所があったとされる河川敷は、現在ではゴルフ練習場として使用されている。
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―――線に沿って自転車を走らせます。。。
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堤防に上がり、江戸川の上流に向けて自転車を漕ぎ出すと
すぐに埼玉県との都県境に差し掛かります。
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都県境を下流(東京都葛飾区=金町関所跡)方向に向けて撮影…
すなわち、
【↑柴又5丁目まで4.7km:↓埼玉県境まで0.0km】と言う意味
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江戸川右岸の堤防に設定されているサイクリングロードですが、
東京都側は葛飾区の区道(葛第七三三号)、
埼玉県側は埼玉県の一般県道(156号)としての管理になっているようです。。。
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埼玉県道156号三郷幸手自転車道線
(さいたまけんどう156ごう みさとさってじてんしゃどうせん)は、埼玉県三郷市から同県幸手市に至る江戸川に沿う都道府県道。
江戸川自転車道を構成する主要路線の1つ。
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宝珠花橋■本ブログ内関連記事参照
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三郷幸手自転車道の終点の、すぐ近くに存在する終点標ですが、
こちらは、
クルマが走る道路である埼玉県道42号の終点を意味しているようです・・・
(↑地図中②の位置/埼玉県幸手市三田にて本ブログ管理者撮影)
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埼玉県道・千葉県道42号松伏春日部関宿線
(さいたまけんどう・ちばけんどう42ごう まつぶしかすかべせきやどせん)は、埼玉県北葛飾郡松伏町から千葉県野田市に至る県道(主要地方道)。
江戸川上流部の野田橋から関宿橋までの区間を、その右岸に沿って付かず離れず平行し、西に平行する新4号国道を補完。
なお、千葉県内は実質的に県境(千葉県管理の関宿橋西端)1点のみ。
(事実上、全線が埼玉県内で完結する県道)
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千葉県立関宿城博物館
【グーグルマップより引用の画像による補足】
江戸川対岸にある集落の様子(1)
【グーグルマップより引用の画像による補足】
江戸川対岸にある集落の様子(2)
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【グーグルマップより引用の画像による補足】
江戸川対岸にある集落の様子(3)
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昭和23年の該当地区
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上の航空写真よりも、もっと川沿いの様子(昭和23年)
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現在の該当地区
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そういえば、この辺の商家建築は「曳き家」によって
堤防の内側へ(洪水対策で)移転させられて現在に至る、、、
みたいな話を以前に図書館で読んだことがあります。
もっちモチぃ~
江戸川対岸で製造されている和菓子
(本ブログ管理者2015.4.12実食の上撮影)
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ほんのり甘い
(゚д゚)ウマー
地場の和菓子屋か?と思ったのだが、
実は、
大阪で量販店向けも製造する比較的大きな会社の「東京工場部門」だった。
(本ブログ管理者2015.4.12実食の上撮影)
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せっかく来たのだから・・・っと、自転車道を離れ
幸手の市街地内に入り込んでみました
(↑永文商店…埼玉県幸手市中1-7-27/地図中③)。。。。。
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旧日光街道沿いの町家ですが、よく見ると、正面左側の門にレールが敷設されているのがわかります。。。
な~るほど・・・これが噂(?)の、、、
横丁鉄道なのですね…
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横丁鉄道とは、商店街や町工場の構内にある荷物や製品を運搬する『トロッコ』のことを主に指すらしいです。
軌間は300~600mm、店奥の倉庫から街道に面した店舗正面まで約70~80mを、商品を積んだトロッコが人力で動いている例が多いのだそうです。。。
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東武日光線「幸手」駅前の様子。。。
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道路拡幅によって新しい建築が増えていますが、
旧街道宿場町の雰囲気を極力活かし、残すようなデザインに建て替えられている例が散見されます・・・・・。
(本ブログ管理者2011.10.10撮影)