川俣駅~千津井の渡し跡~川俣宿~道の駅はにゅう…を散歩する♪、、、(1)*過去記事更新版
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東武伊勢崎線の電車に乗って。。。
(30000系/本ブログ管理者2011.5.14撮影)
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川俣駅で降りてみる。。。
(↓地図中①/本ブログ管理者2011.5.14撮影)
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川俣駅(かわまたえき)は、
群馬県邑楽郡明和町中谷にある東武鉄道伊勢崎線の駅(業務委託駅)。
(群馬県内の普通鉄道の駅としては最南端/浅草起点70.5km)
1903年(明治36年)4月23日 - 利根川南側の堤防下(埼玉県側)に暫定的に開設
1907年(明治40年)8月27日 - 利根川橋梁の開通に伴い、群馬県側に移転
1997年(平成9年)9月30日 - 貨物営業を廃止
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かつては、神奈川臨海鉄道浮島町駅から
石油やプロパンガスを積載するタンク車を連ねた
貨物列車が到着していたそうだ。。。
乗降客数2,502人/日(2009年)
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駅名の「川俣」は明和町に存在する地名だが、当駅は中谷に所在する。
これは利根川南岸に当時の川俣駅を開設した際、
川が分かれて又になっていることを語源として
移転後もその駅名を残しているためらしい・・・
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町立明和東小学校から、県道304号を利根川堤防の方向へ行くと
群馬県が設置した地点標「4」を発見できる。。。
(↓地図中②/本ブログ管理者2011.5.14撮影)
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さらに300mほど利根川堤防の方向へ進むと、
地点標「3」が歩道上に埋め込まれているのが判る。。。
(群馬県邑楽郡明和町千津井にて、本ブログ管理者2011.5.14撮影)
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300m間隔で設置されていたことから、
この地点は、
県道304号の群馬県管理区間「起点」から1.2km地点を示すと推定される。
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しかしながら、この県道は
さらに500m進むと利根川の堤防に遮られて道路(舗装)が途切れてしまう…
(↑地図中③/本ブログ管理者2011.5.14撮影)
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■川の対岸(埼玉県側)の様子(地図中④/本ブログ内関連記事参照)
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「管内事業概要(群馬県館林土木事務所/昭和60年)」によると、
埼玉県羽生市側の堤防の先まで「渡船施設」として群馬県が管理
していることを示している。
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但し、現地における地点標の設置および運用現況から察するに、
(現在は堤防下の河川敷で途切れているが・・・)
いちおう
水際(旧船着場)まで存在すると仮定した上での群馬県側における道路端点を“起点”に設定しているようだ。
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ちなみに、
埼玉県側では、左岸堤防~右岸堤防まで利根川の全幅を
「群馬県管理区間」として位置づけているが、、、
(埼玉県行田県土整備事務所の公式図面/2012年3月版)
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埼玉県道・群馬県道304号今泉館林線
(さいたまけんどう・ぐんまけんどう304ごう いまいずみ-たてばやしせん)は、
埼玉県羽生市と群馬県館林市を結ぶ一般県道。
県境の利根川で分断されている。
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起点:埼玉県羽生市今泉(埼玉県道60号羽生外野栗橋線交点)
終点:群馬県館林市松原1丁目
(松原一丁目、群馬県道2号前橋館林線・群馬県道7号佐野行田線交点)
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千津井(せんづい)の渡し(=上村君の渡し)跡
延長639.4m、定員12人(小型汽船、船員数3名)
委託者(群馬県館林土木事務所長)
受託者(明和町長)
委託期間(年度更新)
委託費(昭和60年度 5,793,000円)
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昭和59年度輸送実績
(自動2輪車164人、自転車1,105人、人員1,252人)
昭和60年度運行時間
(4~9月/7~17時、10~3月/8~16時)
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「船頭の確保ができない」という理由で昭和62年度から運休中。
(運休直前まで使われていた舟は館林土木事務所にて保管中)
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出典:群馬県館林土木事務所公式資料
「管内事業概要(昭和60年)」、「事業概要(平成6年度)」
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千津井の渡しは、運休となってから約30年も経つが再開の予定は無い。
この付近は利根大堰から下流8Km地点に位置するが、
利根川は浅瀬で水量は意外に少ない。
利根大堰(1968=昭和43年竣工)により下流の水量が少なくなったことも、
渡しの運営が厳しくなった一因であるといわれている。。。。。
利根川の河川敷にはアシが生い茂り、渡船場の面影はない。
(羽生市の側では、上村君の渡しと呼ばれている)
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群馬県邑楽郡明和町役場が町民向けに発行する広報誌によると
ここはかつて「千津井下の渡し」と呼ばれ、
その後は県道今泉館林線の渡しとして、
昭和29年から昭和63年まで「県営」で運航されていたのだそうです。。。
(出典/群馬県明和町「広報めいわ」平成23年1月10日付pp..6-7)
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昭和16年「千津井の渡し」付近
航空写真で見ると、この時代には群馬・埼玉両県側ともに、
県道(車道)終点から
ほぼ真っ直ぐに河川敷に降りた方向に渡船場が在るように見える。
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地図上における県道304号の群馬県側端点にて、、、
本来、現地「地点標」の運用状況から考えれば、
いちおう水辺(=かつての船着場)の際ギリギリまで道路が存在し、
その場所が群馬県側起点、
すなわち「地点標0」の位置になるはずだが、、、
(↑地図中⑤の位置/本ブログ管理者2011.5.14撮影)
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■本ブログ内関連記事、、、 に続く。。。
↑昭和33年「千津井の渡し」付近
正確な群馬県側における渡船場の位置は、
現在の河川敷内における舗装端点から150Mくらい下流かな?
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埼玉県側は堤防の外にある道路白線の切れ目位置(埼玉県管理区間終点)
から120Mくらい上流の位置かな?
(あくまでも古い航空写真で見る限りでの推定だが)
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昭和61年「千津井の渡し」付近
昭和43年の「利根大堰」竣工により水流が減った後、
昭和62年に渡し舟を運行中止する直前の頃の航空写真。
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埼玉県側・群馬県川双方ともに、
初期の頃に比べて渡船場位置が約250~300M
下流(埼玉)または上流(群馬)の場所に転移しているのがわかります。
なるべく水深の深いルートを狙って運航していた苦労が偲ばれます。