古我邸(旧荘清次郎別荘) | 一応、カンパネルラ

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本当は「カムパネルラ」なんだけどね(笑)
あちこちと気になる建物、風景、夜景、お店の写真を下手クソながら撮ってます。

鎌倉三大洋館のひとつ、非公開の個人宅です。バロン古我、日本で初めてのレーサー、古我信生さんの御宅です。
古我邸1
この洋館には思い出があるんです。ほぼ30年ぶりの再会となりました。今回の鎌倉行きの大きな目的のひとつでした。
古我邸2
何度か鎌倉を訪れる度に、なんとなく探していた建物なのです。
大昔、嵐の後の鎌倉を銭洗い弁天の方から迷子になり源氏山を越えて鎌倉へ歩いた時に出会った建物でした。夕暮れ時に、孤高な佇まいの美しさは本当に幻想的で、この世のものと思えないほどでした。
古我邸3
一時は、鎌倉文学館がそうじゃないかと思われたのですが・・・・・ いや違う!!もっと淑やかに屹然としていた!建築に全く興味のなかった頃から、ずっと心の中から離れなかった建物です。
古我邸4
もしかしたら、自分の頭の中で勝手に作り上げてしまったものなのかもしれないとも思っていた。
それとも壊されてしまったのか?公な保存物件には一切名前の出ることのない建物でした。
ネットってのはすごいもので、偶然からですが、見つけることが出来ました。幻ではなく、本当にあるんだと思ったら逢いたくてたまりませんでした。
古我邸5

「大正5年(1916)/設計:桜井小太郎、施工:加藤源治」と言うことがわかりました。桜井小太郎って、なんと近所にある東洋文庫を作った人でした。他にも三菱財閥系の大きな建物をいくつも建てている、偉い先生でした。元々の荘清次郎って人も三菱財閥の理事の人でした。とは言え、公の大きな建物と違う個人の別荘です。右側のハーフティンバー(かな?)ぽいペディメントのある方の窓の横に雨戸を納めるような戸袋が付いてるのが、今回写真を撮ってみてすごく気になりました。こういうのって外から見てわかるような付け方するのかな~?それとも全く別なもんかな?
果たして建築としてどれだけの価値があるかはわかりません。
まぁ、そんなことに関係なく、私個人の思い出も含めて、とても好きな建物です。ただ、その建物が偉い先生の建築であると言うことで、なんとなく出自の良さみたいのがわかって、ちょっと嬉しいです(笑)
古我邸6
当日は、一応、地番はわかって、扇谷を歩き回りましたよ。膝が爆笑するくらい(笑)
大きな更地が見えた時は焦りました。既に取り壊されてしまったのかと、泣きそうになりました(大袈裟)
実物を目にした時は嬉しかったな~。門が見えて、その門から50mくらい遠くに、そっと建ってました。初恋の人と再会するよりも嬉しい。だってこの洋館は変わってなかったんだもん(笑) 装飾のほとんどなさそうで、それでいて優雅な感じがする。人がちゃんと住んでそうな建物だよね。左側の多角形に尖がり屋根がキュートだし、この門に門柱もすごいいいでしょう~。
古我邸7
帰りは呆気ないほど簡単に鎌倉駅へ戻れました。こんな近くだったんだ・・・って、今まで何を彷徨っていたんだろうね?(笑)
ここには今も古我未亡人が一人で住んでいるそうです。バロン古我は2005年に亡くなったそうです。一人で寂しくないのかな~。お茶くらいならつきあってあげるんだけどな~。呼んでくれないかな~(笑)
三菱財閥と古我信生との繋がりは調べてみたけど、謎のままでした。
今回、三大洋館の残るひとつ「鎌倉文学館」には寄りませんでした。実は、それほど好きじゃないんです。建築としては魅力的かもしれないけど、色合いが嫌いです。あと10年もしてもう少し褪せてくれば、好きになるかもしれない(笑)

ふと・・・・・・ 夜になったら灯りが付くんだろうな・・・・ どこの部屋に付くんだろう? 見てみたいな~