天皇の真実 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

歴史の真実を調べるうえで、日本の皇室、天皇家の起源に大変興味がありました。海外の国王は、昔、侵略によって勝ち取った一族が王になった例がほとんどですが、天皇家の場合はそうではなさそうです。

初代神武天皇は実在したのだろうか?

実在したとしたら、どのようにして誕生したのだろうか?

私は、これまで神武天皇は存在せず、佐賀大和朝廷
饒速日尊(天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊:あまてるくにてるひこあめのほあかりにぎはやひのみこと)が天皇の祖であり初代天皇であったが、増上慢長脛彦(ながすねひこ)に侵略され神武天皇になった、と書いてきました。
<皇室の祖>
<幻の大和朝廷>

その後、この件について、より正確な内容が分かってきましたので、ご紹介します。

まず、佐賀大和朝廷についてです。

神代、大己貴命や少名彦命などが国造りを行い、神国日本のインフラが完成します。そして、神(神人)と人間が共存する社会が構築されたのですが、増上慢が大暴れし、阿修羅界が乗っ取られます。4000年くらい前のことだと思います。
<アスラと阿修羅>

天が考えていた神、人間、動植物が混在する地球という理想郷は、結局とん挫してしまい混沌とした社会になります。

そこで、天は、地球を統括するトップとして、天津神が三位一体となった
饒速日尊を、宇宙船(天の磐船)で地上に降臨させ、地上を統治させました。これが約3500年前のことなのです。

饒速日尊は、同じく天から降臨してきた天鈿女命(あめのうずめのみこと)を妻とし、現在の佐賀市大和町付近に初の朝廷を開いたのです。これが前述の佐賀大和朝廷であり、饒速日尊が天皇の祖にあたる所以です。

佐賀大和朝廷の痕跡は、佐賀市にあるゴルフ場、大和不動カントリークラブ内にあります。
<大和不動カントリークラブ>

佐賀大和


私は、たまたま、つい最近当地でゴルフをすることになり、かつての朝廷の痕跡があることに気づきました。もちろん、誰もここが佐賀大和朝廷の跡だとは知らないはずです。私以外には分からないことでしょう。

ただ、実際にゴルフ場に入ってみると、至る所に朝廷跡の痕跡が見られます。増上慢は、朝廷跡をゴルフ場にすることで、その歴史を完全に消そうとしたのです。

3500年前に饒速日尊が開いた佐賀大和朝廷ですが、しばらくして増上慢が再登場します。朝廷周辺の国の井戸水に毒を入れ、庶民を次々と殺していったのです。

そして、饒速日尊にトップの地位を譲るよう脅します。国の混乱を収束したい饒速日尊は、まんまとトップの地位を奪われてしまったのです。増上慢は偽天皇となり、金毛九尾の狐の魂が入った女性が偽皇后となってしまった瞬間です。

この後、饒速日尊の息子日子八井命(現在では神武天皇の第一皇子とされている)が登場し、偽天皇増上慢と戦います。しかし、朝廷開設の約100年後に、隕石落下とともに佐賀大和朝廷は滅んでしまったのです。これとともに、肉体を持った神(神人)が中心の文明であった、神代が終了します。約3400年前のことです。

私は、これままで饒速日尊を侵略した偽天皇増上慢のことを神武天皇だと考えてきましたが、ここは間違っていました。神武天皇が正式に誕生するのは、これより600年以上後の時代、現代の通説である紀元前660年頃になるのです。

神代終了後の日本列島は、一転して不毛の地となります。それまで統治していた神がいなくなったからです。天津神・国津神たちは一旦地球を去ってしまったのです。

従って、この頃の日本は、
我々が歴史で学ぶ縄文時代に近い状態、低分化の人間社会なってしまったのです。3400年前から2700年前までのことです。

この時点(3400年前)で、神国日本以外の海外は、人間中心の文明に移行しつつあったため、人間文明では海外の方が先行します。それが、現代我々が歴史で学ぶ四大文明なのです。
<惑星文明と五色人>

再度、日本に神国の兆しが見えだすのが、約2700年前の神武天皇の時代ということになります。天は、神国を復活させるため、人間として最初の天皇を誕生させます

それが、天香山命(あめのかぐやまのみこと)です。
<WIKI:天香山命>

天香山命は神代終了後の約2700年、阿修羅の蛮族に支配され低文明だった日本を統一します。増上慢は、おそらく当時は海外で活躍していたのだと思われます。

そして、人間として最初の天皇になります。これが神武天皇(=天香山命)だったのです。
都は現在の奈良県橿原辺りだと推測します。橿原神宮はこの時代の名残りでしょう。

橿原神宮①

橿原神宮②


ここから(約2700年前)を神中心の文明神代と対比して、上代(じょうだい)と呼ぶのです。

ところが、しばらくして増上慢がまた現れるのです。

当時は、神武天皇が治める都が橿原付近にあり、一方で西国と呼ばれる西の都が、現在の宮崎市付近にあったのです。西国を治めていたのが盧茲草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)。
<WIKI:ウガヤフキアエズ>

都の中心は現在の宮崎神宮辺りです。

宮崎神宮①

宮崎神宮②

宮崎神宮の主祭神は、神武天皇とされ、相殿にその両親神である盧茲草葺不合尊と玉依姫命が祀られています。

神武天皇は、
盧茲草葺不合尊と玉依姫命の息子とされていますが、これは改竄です。神武天皇は、天香山命ですから全く違う系統になるはずです。

何故、このように改竄されたのかを推測すると、
増上慢はまず西国を侵略したからだと思います。この増上慢こそ記紀に登場する蛮族の長、長脛彦(ながすねひこ)だったのです。

長脛彦は、まず
茲草葺不合尊の西国王朝を滅ぼします。

次に、狙いをつけたのが天皇がいる東国、橿原の都だったのです。
西国を侵略した後、東国へ向かいます。そして、神武天皇率いる朝廷軍と戦いつづけたのです。

そして、その顛末は、長脛彦が勝ち、神武王朝が侵略され、長脛彦が神武天皇にすり替わったのです

神武東征
というのは、西国から始まり東国の都まで侵略した長脛彦が、神武天皇とすり替わった過程を正当化するために考え出したものだったのです。

従って、西国の名残りである宮崎神宮の祭神を、
茲草葺不合尊から神武天皇に変えたのです。

歴史は繰り返す。

饒速日尊のすり替えから始まり、神武天皇のすり替え、その後も崇神天皇、継体天皇、明治天皇等、増上慢によってすり替えられていったのです。天皇以外でも坂上田村麻呂、平清盛、源頼朝、足利尊氏、織田信長、徳川家康と続きます。他にもあるはずです。

すり替えられた神武天皇ですが、本来は、神国日本を復活するために天香山命が就位したものだったのです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。