金神社とゴールド | 知っとうや(真実を求めて?!)

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⚡2900年続いた人類中心文明は、近い将来、五六七(弥勒)時代となり、本来あるべき姿に戻ります。それまでは産みの苦しみが続きますが、見事に成就して欲しいものです。⚡

この世の中は、お金(マネー)が全て、という程、お金で社会が動いています。

世界がグローバル化し、世界経済が一体化している現在、今すぐマネーがなくなることは考えられませんが、生きること=マネーを稼ぐこと、のようにみなされており、先進諸国では人間があまりにもお金に固執しすぎていることは否めません。

現代に直接つながる文明で貨幣が誕生したのは、2000年以上前のローマ帝国時代というのが定説になっているようです。
<WIKI:貨幣>

貨幣が発展し、銀行の概念が登場したのが中世。その名のとおり、当時は入手しやすい銀を利用した銀本位制だったようです。

これが金本位制になったのは1800年に入ってからで、ここで金(ゴールド)がマネーの裏づけになります。

現在でこそ金本位制ではありませんが、金(ゴールド)が各国の中央銀行の信用力の裏付けになっているのは間違いありません。

金本位制になるずっと前の貨幣登場以来、金(ゴールド)は、その美しさと貴重さから貴金属として重宝されていたようですが、元々その多くは、神代の日本で人工的に造られたものでもあるのです。その主たる用途は人類の覚醒のため地球の波動を上げるためだったということは以前書きました。
<参照:ゴールドの真実>

昔から日本には大量の金塊が隠されていると噂があります。秀吉の金、徳川埋蔵金など。それがジパングの呼称にも繋がっています。

古代エジプトでは、ツタンカーメンなど、為政者のミイラは金箔の棺に収められていました。日本の大仏像も表面には金箔が塗られています。お釈迦様と言えば、金色に輝く存在であるイメージがありますが、あれが覚醒した究極の姿なのでしょう。

ゴールドの本来の価値は、マネーではなく、高い波動をもつ高貴な人物の象徴だったのだと思われます。

しかし、波動が低い金星系は、地球が波動が高い状態では支配に不都合です。地球の波動を低くしないと、彼らが思う通りの支配はできなかったのです。

従って、波動が高いゴールドを、間接的に波動が低いツールに変えようとしたのでしょう。それがゴールドのマネーへの転換金欲の助長だったのです。ゴールドをマネーに変え、金欲を煽る仕組みを作ってしまえば、人々の心はマネー目当てになり、本来の転生目的を忘れ、どんどん波動が下がっていくと考えたのです。実際にその目論みは成功しました。

国内では、多くの神社が、本来の目的を忘れ、商売繁盛の祈願をする場所と化しています。本来の神社はお願いごとをする場所ではなく、その地域の氏神に感謝をし、その地域に住む人々が協力し一体化する場所だったのです。それが古代から金星系の策略により崩れていったのです。
<参照:神社の起源>

また、金星系が稲荷神社を登場させたのは、本来の神様の役割を人々に忘れさせることだったのです。
<参照:お稲荷さんの真実>

稲荷系神社が建てられだしたのは、奈良時代以降のようです。今では稲荷系神社が八幡系神社を上回り、一番多い神社になっています。お稲荷さんは金星系の遣いと化しているので参拝しないほうがいいです。金星系と契約することになります。

しかし、ゴールドの本来の価値、波動を上げる価値が失われたのは、もっと古い時代のようなのです。

先日、岐阜市にある金神社(こがねじんじゃ)を訪れました。変わった名前の神社です。
<WIKI:金神社

主祭人は金大神(こがねおおかみ)とされ、相殿に
渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)、市隼雄命(いちはやおのみこと)、五十瓊敷入彦命(いにしきいりびこのみこと)、日葉酢姫命(ひばすひめのみこと)の4神を祀っている風変りな神社です。この4神は第12代垂仁天皇から第13代景行天皇の時代の皇族です。活躍した時代は約2000年前。イエス(豊城入彦命)の次の世代です。

金神社は、その名のとおり金運、財宝にご利益があるとされています。

これが金神社。

金神社①


本殿。隣は稲荷神も祀られています。

金神社②


参拝して驚いたのは、その波動の低さです。とんでもない邪気だらけでした。これまで参拝した神社で№1の波動の低さでした。

本殿隣には稲荷神が構え、本殿の裏一帯は強い邪気に覆われていました。現代社会の金欲の邪気で覆われているのです。無論、金欲で訪れる参拝客はそんな波動の低さは感じられないのでしょう。

この神社が、本来の金、ゴールドの波動を低いものに変えたと言っても過言ではないのかもしれません。

金大神という神を創り上げることで、金星系がゴールドの価値観を変えてしまったのです。

実は、この金大神は、本来は素晴らしい神だったのです。それについては次回に書きます。


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