空海と言えば仏教界のスーパースターであり、真言宗の開祖として有名ですね。他にもお遍路や三筆などで有名です。空海は、死後の100年近くたった921年に弘法大師という諡号(しごう)を醍醐天皇から贈られています。
しかし、ここまでは表向きの話で、空海の人生の目的は別のところにあったようなのです。
それは、金星系に洗脳されつつあった国家を正常に戻すため、全国に張り巡らされた金星系の結界による封印を解いていったのです。
前掲の空海のウィキペディアの後半に「弘法大使の伝説」と「発見したとされる温泉」という項目があります。
全国に空海(弘法大師)伝説や、空海にまつわる仏閣がたくさんあるのは、空海が全国行脚し結界を解こうとした証だからです。
温泉を発見したのは、空海にダウジングの能力があったからでしょう。空海は覚醒した人物だったのです。空海が発見した温泉は、波動の高いものが多く、その高い波動を利用して、結界を解く際に吸ってしまった邪気を中和したのだと考えられます。和歌山の龍神温泉はその中でも特筆すべき波動の高さでした。
空海は遣唐使から帰国後、全国行脚したのですが、結局、結界を完全に解くことができず、志半ばでこの世を去ったようです。目的を完遂できなかった理由は、おそらく人生の後半だと思いますが、金星系によって殺害されてしまったからです。
空海の生誕は774年。没したのが835年とされています。
しかし、実際にはもっと早く亡くなり、金星系の偽物とすり替えられていたのです。835年に亡くなったのは偽者です。本物が亡くなった時期は、高野山金剛峰寺を開祖した816年より後の話ではないかと私は考えています。
空海のエピソードとして、「明けの明星(金星)を飲みこんだ夢を見た」という伝説があるようですが、これは、金星系が空海にすり替わった後に、空海=金星の魂、に変えるために金星系が流した偽情報でしょう。
お遍路で有名な四国八十八箇所は、金星系が結界を張るために後の時代に創作した信仰のようです。よほど空海の本当の狙いを隠したかったのでしょう。
私が空海の足跡をたどっていく必要があると考えているのは、金星系の結界についてのヒントが隠されているからなのです。
熊本県北部に杖立温泉があります。
この温泉は応神天皇も利用したという伝承がある古い温泉です。「杖立」という名前は、空海がこの温泉に立ち寄ったときに詠んだ句が由来と言われています。
「湯に入りて 病なおれば すがりてし杖立ておいて 帰る諸人」
そのくらい素晴らしい温泉のようなので、自宅から車で2時間足らずの距離と近いこともあり、先日友人と行ってきました。
これが杖立温泉街の川に泳ぐ鯉のぼり。素晴らしいですね。
(クリック拡大)
杖立温泉は初めて訪れましたが、大変なつかしい感じがしました。
すぐに温泉に入りました。湯船に入った瞬間、体中から邪気が出て行くのが分かりました。最近、近くの温泉を巡っていますが、その中でも断トツの波動の高さでした。龍神温泉に匹敵します。源泉の湯温が97℃で全国一だそうで、これも波動の高さに関係しているのかもしれません。素晴らしい温泉です。
杖立温泉を空海が訪れたということは、この近くに何かが隠されているはずです。それが何なのかは分からなかったのですが、杖立温泉に行く前に、昨年5月にブログで知り合い、訪れた、むらさきさんを訪ねることにしました。
何故、むらさきさんかというと、住所にある「満願寺」という地名が大変気になっていたからです。満願寺という寺院があるのでそういう地名となっているようなのですが、満願寺をネットで調べても、あまり空海に関する情報は出て来ませんでした。しかし、何か関係があるはずだと思い、直感を信じてむらさきさん宅へ行ってみることにしたのです。
むらさきさん宅で、野草料理に舌づつみしながら話をしていたときに、「満願寺には空海が祀られている大使堂があります」と教えてもらいました。「これだな」と思い、むらさきさんに案内してもらうことにしました。
こちらが満願寺。歴史を感じます。鎌倉時代に北条時定が建立したそうです。
寺院はあまり手入れが行き届いておらず、やや寂れているのが残念でした。
寺院の裏手の方には、杉の巨木があるというので案内してもらいました。こちらです。ここに北条時定のお墓もあります。ここの神気も凄かったです。
杉の巨木に沿って大きなエネルギーの柱が感じられました。
この後、少し歩いた所に大使堂があるというので行きました。狭い登り道のうえ、道は杉の枯れ枝で埋まっており、大変寂しい雰囲気でした。とても一人だと行けないような場所でした。
そこには寂れた小屋のような建物がありました。ここが大使堂のようです。破れた扉の部分から中を覗いてみると高さ1.5mくらいの仏像が見えたので、扉を開けてみました。そこに現れたのは、空海の木像です。手入れがされておらず、大使堂の中はちらかっていました。
ところが、そこに鎮座している空海像だけは目が光り、威厳を発していました。凄い神気でした。手入れが行き届いてなくても、空海像には魂が宿っていました。物凄い鳥肌が立ちました。ここの空海が呼んでいたのでしょう。
感動しながら大使堂を出ました。むらさきさんが、「私もまだ行ったことはないのですが、空海が腰かけた樫の木があるそうです。そこに行ってみませんか?」ということでしたので、行ってみることにしました。
その場所は、満願寺からは少し離れた小山の中にあるようで、結構、きつい上り坂が続きました。さらに悪いことに昨年の台風で大木が倒れ、案内板もなくなっており、どこにその場所があるのか簡単には見つかりませんでした。
満願寺でいただいた地図を頼りに探していたら、「まさかこの下?」というような崖のような道を見つけました。そこを十数メートル下ったら、突然目の前に大木が広がりました。
「うわー」と、訪れた三人が声をあげました。
大きな樫の木ですが、凄いエネルギーを発しているのです。
この画像をクリックして拡大すると、画像の中央付近に観音像と空海像が並んで祀られているのが分かります。これまでで最大級の感動でした。そして突然日が差し込んできました。
約1200年前、空海がこの場所を訪れ、その根本に腰をかけて休んだとされる樫の木だそうです。ということは樹齢1300年以上だと推測されます。
台風で荒らされた小山の中で、この樫の木だけが大きなエネルギーを発していました。
空海はこの場所を見つけてほしかったようです。そして、偽物とすり替えられ、目的を成し遂げられなかった悔恨を伝えたかったのではないでしょうか。今後、空海がいろいろな事を教えてくれると思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。