邪馬台国の真実 | 知っとうや(真実を求めて?!)

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邪馬台国

謎にみちたロマンを感じさせる響きです。

高校の日本史の教科書には次のように書かれています。

「倭国では2世紀の終りごろ大きな騒乱がおこり、なかなかおさまらなかった。そこで諸国は共同して邪馬台国の女王卑弥呼を立てたところ、ようやく争乱はおさまり、ここに邪馬台国を中心とする30国ばかりの小国の連合が生まれた。
卑弥呼は239年、魏の皇帝に使いをおくり、「親魏倭王」の称号と多数の銅鏡などを贈られた。
卑弥呼は巫女として神の意志を聞くことにたけていたらしく、その宗教的権威を背景に政治を行った。」


この邪馬台国は日本の歴史書には残されておらず、中国の歴史書「魏志倭人伝」により推測されているものです。

従って、邪馬台国の存在した場所さえ特定されておらず、機内説や九州説などの邪馬台国論争が江戸時代からあり、いまだ結論は出ていません。

TV報道などによると、現在では畿内説が有力のようです。

<WIKI:邪馬台国>
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD


私は九州出身なので、以前から邪馬台国に興味はありました。
邪馬台国に関する本も数年前には読んだことがありました。

邪馬台国論争 (岩波新書) 邪馬台国論争 (岩波新書)
(2006/01)
佐伯 有清

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九州説を支持したい気持ちはありますが、古墳の大きさの違いなどから畿内説が有力なのかなと感じていました。

その後、ブログを書くようになってから、世界中の歴史が定説と大きく異なっている事を知りました。

特に日本の縄文時代以降の歴史は、全く様相を異にしていました。
もちろん、正式な記録が残されている訳ではありませんが、古い神社などの古文書には別の歴史が記録されているようです。

定説の日本史を見てみると、正式に記録された年号が出てくるのは、

西暦57年の倭奴国王、後漢に遣使からです。

<WIKI:日本史の出来事一覧>
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7


縄文時代-弥生時代-古墳時代-飛鳥時代-奈良時代
と、ゆっくりと日本は発展してきたかのように、装われています。


しかし、真実の歴史はこれとは全く異なるようです。

皇室関係者など一部の人たちは、真実を知りながらどうもこのことを隠しているようです。


私が推測する真の歴史は以前書いたとおり次のようなものです。
<真地球史>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-70.html

もちろん、詳細までは分かりませんが、
真地球史での邪馬台国はどういうものであったのでしょうか?

それは、定説の歴史とは異なる文化水準の高い時代だったようです。

木内氏曰く「微分積分くらいは簡単にできた人たち」

私は、この話を最初にネットで読んだときには大変なショックを受けました。
これまで学んだ歴史は何だったのかと。

倭国は、スサノオ以前から倭人が暮らす地域として発展していたようですが、3500年前にスサノオが出て来てから一つの国として、発展し出したようです。

魏志倭人伝で邪馬台国が触れられている年代は西暦239年。
スサノオの時代から1700年も後の話です。

古代から古神道が発達していた倭国は海外からは神聖な国として崇められていたようです。

その中心地が現在の大阪・奈良あたりのようです。
高度で、華やかな文化?が存在していたようです。

ところが、そこに襲ってきたのが隕石落下。
西暦535年の事です。

<西暦535年>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-43.html

これによって、倭国の中心地は壊滅したようです。
いわゆる邪馬台国の消滅です。
ただし、邪馬台国は後世の人々がつけた名称のようです。
新井白石や本居宣長あたり。


そして、興味があるのは邪馬台国の主役卑弥呼とは何者なのか?

卑弥呼は、どうも時代錯誤して伝えられているようです。

結論から言うと、
卑弥呼=アマテラス

アマテラスは、スサノオと同時期に実在した人物のようです。
<幣立とアマテラス>
   http://calseed.blog31.fc2.com/blog-entry-89.html

アマテラスはスサノオと幣立で結婚した後、しばらく高千穂で暮らしていたようです。
その後、四国に渡り文化を広めた後、スサノオ亡き後、飛鳥あたりで世を治めたようです。

アマテラスは、晩年に自ら卑弥呼と名のっていたようです。

後世、それが伝説となって伝わっていたものが、飛鳥時代以降、邪馬台国伝説と卑弥呼が一体となって広まったというのが真相のようです。


ちなみに、高い文化を誇っていた倭人は535年にほぼ絶滅したそうですが、一部生き残った倭人の末裔が聖徳太子弘法大使だそうです。
現在は、大陸系との混血が進み、純血の倭人は途絶えたようです。
一部どこかに残っている可能性はあります。


従って、邪馬台国論争の畿内説や九州説は、あまり意味のないことですね。
ギザのピラミッドもそうですが、考古学者の一部は真実に気づいているはずですが、本当の事を公表すると学会を追放される危険があるのでしょうね。

いずれにしても、驚愕の歴史です。


最後まで読んでいただきありがとうございました。