親父の日記 | 拾遺愚想 - 越境する妄想団 delirants sans frontiere

親父の日記

親父 服部伸六の日記から 1937年(昭和12年)

Journal de M. Kambé.
1937---
L'expérience et la passion.
L'extraits des autreurs aimés

二月十五日火曜日
★西脇(順三郎)教授は最後の言語学講座を行なった。
《僕は若い頃は古いこと(彼は歴史の好尚とも言った)が余り好きじゃなかった。けれども、やらなきやならない立場になったからやってゐるですが……やっぱかう、ヴィヴィドなものが面白いですね。併し、古いことの好きな人が居るから、古代文字学、古文書学など、やれば面白いでせうね。》西脇教授が自分の地位を、或ひは職業を如何に考へてゐるか、之から察しられると思ふ。それについては色んな細い感想と観察があるが、止しにしておかう。

wikipedia によれば「1926年(大正15年)、慶應義塾大学文学部教授に就任して英文学史などを担当。『三田文学』を中心に「PARADIS PERDU」を仏文で発表するなど批評活動を開始し、講義の後には佐藤朔、上田敏雄、上田保、三浦孝之助などの学生がしばしば自宅に押しかけて深夜まで芸術論を交わすようになる。」
これを見ると佐藤朔や上田保は親父より年上であったと思われる。後年、上田保の葬儀に行って落胆して帰ってきた時のことを思いだした。