「情緒の死」という病 | 拾遺愚想 - 越境する妄想団 delirants sans frontiere

「情緒の死」という病

「情緒の死」という病

フィクションの創造から現実の創造へ

大和田始

 

 

■旧来のSFを批判

 J・G・バラードは英国人の医師の子として1930年上海に生まれる。太平洋戦争終結の翌年、英国に戻り、ケンブ リッジで医学を学ぶ。コピーライターなどの仕事を経て、1956年からSFを発表しはじめる。

 初期の作品においてバラードは旧来のSFを徹底的に批判し、破減テーマの長篇第3部作などによってSF界最高の作家のひとりとなる。60年代後半には《濃縮小説》という実験小説を発表し、イギリスSF界の〈新しい波〉を主導していく。そして70年代に入ると、現代テクノロジイ批判の長第3部作を書いて、ジャンルSFの壁を大きく越えていく。

 この対話の中でも言及されている「時の声」は1960年に発表され、彼の進路を決定づけた作品である。終末を迎えようとする世界の中で、蛙は鉛の甲羅をまとい、花は時間を見るようになる。人間は睡眠時間がしだいに長くなり、ついには永遠の睡りにおちこんでいく――バラードの想像力が水爆実験のおこなわれた島エニウェトクの中に見た現実が反映され、異様な幻想世界として表現されているのだ。

 60年代初頭は核戦争の恐怖がもっとも高まった時代であったが、そうした状況の中でバラードは破滅する世界を描く長篇をつぎつぎと発表する。『狂風世界』『沈んだ世界』(62年)『燃える世界』(64年)『結晶世界』(66年、いずれも創元文庫刊。後の3篇がいわゆる破滅3部作)。いずれもSF的な仮構が採用されているが、66年の『結晶世界」では正・反島宇宙が衝突しつつあるという壮大な設定である。この宇宙規模での時間・空間の消滅と照応するかのように、アフリカの奥地に宝石の森が出現する。対話の中でバラードがいうように、宝石には時間の凝縮のイメージがこめられている。手づかみにしうる時間という彼の時間観念のもっとも美しい例であろう。主人公はこの森の入口にとどまり、そのことによって様ざまの形而上学的な観念や寓意をその森に結びつけ、森はそれらすべてをかかえこんで幻想的な美の極致に達していく。

■インナースペース宣言

 この対話にも出てくる「内宇宙」という概念は、60年代前半のこの時期に提唱されたものである。「内宇宙」とは外なる現実と内なる精神が出会い融合する場である、と彼はいう。広島・長崎やエニウェトクに象徴される核戦争の恐怖、テクノロジイに支えられる進歩概念はそれによって崩壊し、人びとは未来に関心を失った――というのが、バラードのみる60年代の状況の一端だが、その中にありながら我われはそれを真に受けとめてはいない。そこで彼は「精神時間」がとらえる現実の内的な質量を幻想的な世界として作品に定着させたわけである。

 SFの仮構を借用して押しすすめられたこの指向は「結晶世界』において頂点をきわめる。そしてバラードは60年代後半、自ら〈濃縮小説〉と名づけた斬新な小説型式の実験に没頭していく。

 これは、ごく短い断章からなる短篇で、バラード流アンチ・ロマンである。ここにおいて彼は想像世界を描くことをやめ、 現実世界の「テクノロジイ風景」へと進軍する。マリリン・モンローなど映画スターや、ジャクリーン・ケネディなどトピカルな人物たちが風景として登場し、神経空隙・脊髄風景といった私的な観念も風景の中に投影されて、あたかも言語によるマンダラを見るかのように思わせる。 

  70年に「残虐行為展覧会』としてまとめられたこれらの〈濃縮小説〉には、現代に生きる我われの意識の深層にあるものを、おそらく読者ひとりひとりに微妙に異なる形で覚醒させることだろう。ここに現わされているのは、我われが体験する現実が広告宣伝や、その1部門となった政治や、たちまちにして大衆的なイメージに変換される科学とテクノロジイや、テレビによって先どりされる想像性などの虚構、フィクションが世界を支配し、その中で生きる我われは「情緒の死」という病にかかり、人間関係はしだいに抽象化しつつある――というバラードの現実認識であるだろう。膨大なフィクションの中で生きる我われには、公的・私的・幻想的の3つのレヴェルでのフィクションに相互作用をおこさせるしかリアリティを回復する見込みはないというのである。

■現実を創造する作家 

 〈濃縮小説〉とは、バラードがもはや。19世紀的な「直線的」な小説の継起的な叙述ではとらえきれないと考えた60年代の混乱した世界を活写する方法だった。

 ところが70年代に入ると、60年代の緊迫感は緩和され、まるで何事もなかったかのようにおさまりかえってしまう。摑みどころのない時代になってしまう。バラードは〈濃縮小説〉の錯綜としたスタイルを捨て、直線的な作風に戻る。とはいえ、19世紀的な小説のように作家が神のごとく作品を支配するのではない。バラードはまったくの無の地点から、ただただ想像の世界を書いていく。そこには何のてらいもない。

 こうして「テクノロジイの精神病理学」をめざす長篇3部作が書かれる。セックスとテクノロジイの結婚、生物学的存在である人間を駆りたてる力さえもテクノロジイに侵されていることを警告する『クラッシュ』(73年)、文明社会の真只中で孤立した人間を描く『コンクリートの島』 (74年、NW-SF連載中)、超高層アパートの住人たちが攻撃性をつのらせ、原始へ、石器時代へと退化していく『ハイ・ライズ』(75年)。 

 世界はもうフィクションにおおわれている。作家の責務は現実を創造することだ、というバラードの激烈なエクリチュールは、彼が誠実であろうとして1人称の小説となった『クラッシュ』に明らかで、叙述はポーリーヌ・レアージュをしのぐ厳格さをもつ。「私は『クラッシュ』をテクノロジイにもとづく初めてのポルノ小説と考えたい。ある意味でポルノはもっとも政治的な小説だ。我われが互いをどう利用し搾取するかを扱うからだ」 と彼は述べて、「売春」という概念で現代社会をとらえたジャン=リュック・ゴダールに接近しているようにも思える。

 この3部作の後、バラードは短端集『死亡した宇宙飛行士』 (77年 NW-SF社刊行予定)に収める中篇を書き、いままた新たな活動をはじめようとしている。再び中国を訪れたいという意向も持っているようだ。文革後の中国に彼は何を見るのだろうか。

 

初出 The Meditation 1978年 冬季号

本稿は松岡正剛とバラードの対談の解説として書かれた。

『死亡した宇宙飛行士』 は後に野口幸夫訳でNW-SF社より刊行され、先年『バラード短篇全集』(東京創元社)に収録された。