おいしいという感覚・判断とは何か?ここから逃げてはだめ。多くの飲食店が見た目や食べ応えをメインにしたプレゼンテーションに走っている。これはこれで立派だし、そこにもおいしいという感覚や価値判断は当然伴う。コーヒーは苦くてもだめ、にがくなきゃだめ、酸味はですぎちゃだめ、酸味がないコーヒーは焦げた麦茶以下。香り。それは良く立たなければならない。そう、香りだけはないとあるの二律背反は起こらない。香りとは味である。ここすら本気で分かってなければコーヒーなんてプロとしてやっちゃあ。おいしさとは、絶対的なものなのか?比較相対的なものなのか?まず、プロは一切「おいしい」という表現をしてはならない。何年もかけて一週してからはじめて「おいしい」という言葉を使ってよいのである。この訓練?プロセスでは自分の頭の中の内的言語としても使わないこと。こころの中でも「うめー」とか、そういうのも禁止すること。「うめー」じゃだめ。それは何がどう「うめー」に繋がるのか?どうしてなのか?どうすればそうなるのか?ポイントはどこにある?味としては?香りは?食感は?ファーストインプレッションは?アフターは?余韻は?次に何をどう味わえばいい?どんなシチュエーションで?誰と?どんな心理心情で?時間帯は?景色は?・・・こういった無限に続く問いをホンの数秒とか、時間外のコンマ数秒で頭の中で一瞬に駆け巡るなければならない。しかもそれと同時に過去の体験とそこから想像できるもっと完成した味・香りをイメージ。そしてそれらを体系の中で記憶。これがおいしいとは何かを考える者のあくまで『最低限』の作法です。おいしいとは何かを徹底して追求しつづけなければ必ずおいしくなくなる。本物のおいしさは常に相手(飲み手)にも挑戦しているものであり、相手のレベルを問うものでなければおいしさとは言えない。興じてもなお軽ろやかでなければいけない。


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