2017-05-01 20:00:00

中村幸子物語①難病と二人三脚編~なぜ私は「子供料理(お菓子)教室」を始めたのか?~(全3回)

テーマ:プロフィール

中村幸子物語難病と二人三脚編~なぜ私は「子供料理(お菓子)教室」を始めたのか?~(GW特集連載読物:全3回)

こんにちは、「カフェ茶の子」の中村幸子です。



 大阪生まれ。生年月日は非公開。

 

大阪心斎橋で「子供料理(お菓子)教室」を主宰。教室とは別途、オリジナル焼菓子「納豆ビスコッティ」を製造・販売している。長い闘病生活から生まれた「お粥スープ」をベースにした「美人粥」を自店カフェ内で提供している。




今回は、中村幸子物語~なぜ私は「子供料理(お菓子)教室」を始めたのか?(全3回)~の第1回目をお話しいたします。

 


中村幸子物語 難病と二人三脚編

中村幸子物語 リストラと母の介護編

中村幸子物語 飲食のプロになる!編



少し長くなりますが、お読みくださいねー。<m(__)m>

難病と二人三脚編

大学の社会学科を卒業後、OLなどを経て体調絶不調の中、私に告げられたのは「潰瘍性大腸炎」という名の難病でした。

 

「この病気は一生治りません。あなたのように20代前半で発症する人も多いんですよー。最悪、大腸がんに移行する病気なのでそのつもりで気をつけて養生してください」

胃腸専門病院の院長先生からの説明を聴きながら、隣にいた母親がメモを取るのを私はただ茫然と見ていました。

 

数か月前には、胃がんで闘病中の父親を亡くしたばかり。

「人間の命というのはかくも儚いものなのか?」

 

現役バリバリで激務をこなしていた父親が日に日に痩せ衰え、生きる力を失っていった事実に衝撃を受けたばかり・・・。

娘の自分もひょっとしてがんで、大腸がんになって死ぬのかもしれない。

数か月後に・・・、数年後に、、、、きっと30歳前に死ぬのかも!?

 

神様から突然「はい、ここまでッ!」と宣告されても、私にはやりたいことがいっぱいあるー!(≧▽≦)

 

大いに思い悩んだ末、残りの人生をどう生きるか?の心構えをこの頃に決めました。

 

これからは、「今日が最期の日になっても死ぬ直前に思い残すことが無いよう、自分が一番やりたいことから全力でやっていこう!」

 

それなら、「いつお迎えがいつ来てもいいゎー」^^

 

当時、フランス語の勉強に情熱を燃やしていた私は、1年間の予定でフランス語講師の資格を取る為のフランス留学を決意しました。

 

それがその時、一番やりたかったことだったのです。

 

いま、これをやらなかったら後から必ず後悔するのは明らか。

向こうで体調が悪くなったらすぐに帰国できるようにしておけば母親にも納得してもらえるはず。

1年間の一切の費用は、学生時代から働いて得た貯金のすべてでまかなえる!

フランス留学に希望を見出した私は、治療生活に専念して勉強を続けていました。

 

一年後、なんと奇跡的に病状が回復したのです。(*^-^*)

フランス留学のことを母親に告げると、案の定猛反対されました。

「またぶり返すかもしれないっていう病気やのに、なんでフランス?外国で病気が悪くなって倒れたらどーするのッ??」

 

母親は、私の決心が変わらないことが分かると、最後にこう言いました。

 

「自分で働いた貯金でいけるからって、飲まず食わずで貯めたオカネじゃないでしょうーがッ??」

 (はい、その通りです。親の家にいてお金を入れずに貯めたお金でした。汗)

ところが、院長先生にフランス行きをお話しすると、意外にも激励されました。

「留学?それもいいかもしれませんねー。この病気はストレスが最も良くない。今の状態を維持してあちらで頑張ってきて下さい!」

 

この院長先生のお言葉を母親に告げると、しぶしぶOKが出ました。

 

1年間、異国の地で(フランスの水が合ったのか?)ず~っと体調良好が続きました。^^

 

ラッキー!!

出発前には40キロなかった体重が標準に戻り、目指した「フランス語教師」の資格も取れて、すっかり元気になった私は、すぐに帰国するのをためらいました。

 

「このまま大阪に帰っても、この資格だけじゃ先が見えている」

 次の資格を目指して母親からの援助を受けながら都合5年余り(汗)

 

不思議なことにその間、潰瘍性大腸炎の症状はまったく出ず!だったのです。

 

フランス語講師αの資格を持って、私は大阪に戻りました。

 

院長先生に報告に行くと、

「おー、中村さん元気そうですねー!ほう~、フランスでは無事だった!?

向こうの水が合ったんですねー!それは良かった。^^

 

しかし、潰瘍性大腸炎の再発・再燃には十分気を付けて頑張って下さいねー!」

と激励されました。

 

それからはフランス語講師として大阪の語学学校で勤務。京都の短大(中高も)にも週3回通う、という忙しい仕事中心の生活が続きました。

ところが、仕事でのストレスからか? 食生活が乱れたからなのか?

院長先生に注意された潰瘍性大腸炎の再発&小康状態の繰り返し。

つごう20数年に渡って苦しんだ難病ではありますが、40歳を過ぎた頃に
院長先生に言われました。

 

「だいぶん良くなってきてますねー、これからは若いときほど悪くならないと思いますが、やはり再発・再燃には気をつけてくださいよー」

 

30歳になる前に死ぬどころか、あれから十数年生きてこられた。

 

神様から「今日が最期、寿命です!」と告げられなかっただけでも有り難い!

そして「一病息災」で、ず~っと仕事を続けてこられたことに感謝!!

 

一方、プライバシー面では私、こう自分に言い聞かせていました。

院長先生からは『この病気があっても結婚はできます。子供も産めます』と言われたけれど、症状が悪化した時の私はもう~自分のことで精一杯!


好きな人と一緒に暮らしたとて、どのくらい体がシンドイのかは相手にはわかってもらえない。

 

子供が出来たとしても、病気による気分の上がり下がりに一喜一憂し態度が変わっていたら、私以上に不幸になるのは夫であり、子供かも知れない・・・。

 

30代の私には「結婚」という選択肢は無く、「自分の子供は持たない」と決めていたのです。

 

当時、姉の娘たちを自分の娘のように可愛がっていて、子供達が良くなついていたのでそれで充分でした。

私の性格や病気のことを一番よく理解してた母や姉は、私に「もうそろそろ身を固めたらどうなの」などと言うことは一切ありませんでした。

 

明石家さんまの口癖で、「生きてるだけで丸儲け」というのがありますが、私もその言葉を日々くりかえしていたのです。^^

 

仕事以外に私が情熱と時間とお金を注いだのが、「健康を取り戻す」ためのあらゆること。

指示された治療薬がのどを通らなくなるような精神的に苦しい時期が何度もありました。

救いを求めるように、健康雑誌を数種類毎月購入して、民間療法の勉強&実践を繰り返していました。

その中で最も効果があったのが、はり灸・漢方薬と食事療法・太極拳・小食習慣。


とくに、断食中に飲むスープは「命のスープ」となって大いなる効きめがありましたー!


ふだんの食事をもっとよく考えて摂り、この「命のスープ」を飲めば、元気になれるかも知れない。

 

こうやってついに私は、20数年続いた闘病生活から(一時的に)解放されました。

 

「潰瘍性大腸炎」は今も難病の一つではありますが、昔に比べたらいい薬も開発されています。

20代で死ぬかもしれない・・・と思い詰めた私はどっこい、40代になっても元気に生き続けていたのです。(*^-^*)

 

ところが、学生数が極端に減ったという理由から、

勤めていた短大で「来年からはフランス語の授業が無くなります」
とリストラされて仕事の場を失うはめになりました。


悪いことは重なり、リストラの翌年には母が脳梗塞で倒れるという不幸が・・・。

 

続きは、中村幸子物語 ②リストラと母の介護編へ。

 

 

中村幸子物語~なぜ私は「子供料理(お菓子)教室」を始めたのか?~(全3回)

中村幸子物語 難病と二人三脚編

中村幸子物語 リストラと母の介護編

中村幸子物語 飲食のプロになる!編



中村幸子でした。


最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。


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