■“聖地”包む静寂と観音の神秘

 京都のオフィス街、烏丸(からすま)通から少し東に足を踏み入れると、静寂な“別世界”が広がった。

 古都のへそに位置する頂法寺六角堂(京都市中京区)。開門の午前6時、鐘楼の鐘が鳴り響く。石畳には数十羽の鳩が群れをなし、その「クック」という鳴き声が気になるほど境内は静けさに包まれていた。

 中央に建つ重厚な六角形の本堂にちなみ「六角さん」の愛称で親しまれる聖徳太子ゆかりの古寺。浄土真宗の宗祖・親鸞が、念仏門に帰依するきっかけとなる「救世(くせ)観音の夢告(むこく)」を受けた聖地としても知られる。

 「比叡山や高野山みたいな山岳の霊場も身が引き締まる感じでいいけど、街の真ん中にありながら閑散とした雰囲気の六角寺にいると穏やかな気持ちになります」。本堂の前で真言を唱えていた増田雅夫さん(76)=大阪府=はほほえんだ。

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 平安末期、太子信仰が盛んだったころ。観音様の御利益を願う人が、六角堂に参籠(さんろう)してさまざまな夢想に耽(ふけ)る姿が絶えなかった。

 29歳の悩める親鸞も、修行中の比叡山を離れ、この地に参籠した一人だった。≪そなたが女との交わりをなすなら、われ(救世観音)が美しい女となって相手になろう。臨終に極楽浄土に生まれさせよう≫(講談社編「親鸞めぐり旅」から)

 百日参籠の95日目の暁、親鸞が得た大胆な夢のお告げは、日本の宗教史上の大事件となった。というのも、それまで出家した僧には禁じられていた妻帯を肯定したからだ。

 「そのお告げが本当だったのか、それとも、性欲に悩まされた親鸞のひそかな願いから生まれた幻聴なのかは分からない」と哲学者、梅原猛さん(85)。「いずれにせよ、六角堂の秘蔵、如意輪(にょいりん)観音の像は艶(なま)めかしく、どこかしら女体の匂(にお)いさえ漂っていた。観音様がそうささやいたとしても不思議ではない」と意味深げに語る。

 六角堂の執事、田中良宜(りょうぎ)さん(43)は「家庭生活を営むことが、悟りを開く上で何の妨げにもならないという鮮烈な告げを受けたことは、親鸞の心に一筋の光を灯すものだったのでしょう」と話す。

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 開門から時がたつにつれ、参拝者の数も増えてきた。お香の煙が漂う境内で皆々が手を合わせ、何事かを一心に祈っている。

 ≪六角堂に集う人びとは、世間から余計者あつかいされているあわれな者たちばかりである。朝廷や貴族たちの催す盛大な法会とは、まったくちがう光景がここにはあった。…貧しき者、弱き者、病める者、よるべきなき者たちのためにこそ寺はあるのではないか。≫

 小説「親鸞」の中で、六角堂に初めて訪れた親鸞が目にした風景の描写は「巷(ちまた)の庶民が集う寺」との意味では今も昔も変わらない。

 雨上がりのこの日。本堂前の枝垂(しだれ)れ柳(高さ約7メートル)の枝が、地上を掃く箒(ほうき)のように長く伸び誇っていた。その青々とした新芽は、ビルに囲まれたオフィス街に初夏の薫りを運んでくるようだった。(植木芳和)

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 【五木寛之著「親鸞」】親鸞の幼少期から35歳に至るまでを描いた長編小説。比叡山で修行するため、2人の弟を捨てて出家したものの、12歳の日野忠範(後の親鸞)は挫折し苦悩する。そんな自分は悪人であり「つぶてのごとき者」であると自覚する。また、僧でありながら後に妻の恵信尼となる女性に恋する姿が描かれる。「聖人」としてよりも「人間」親鸞像を浮き彫りにした。

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 歌舞伎や小説、映画、歌…。さまざまな作品に登場する舞台の“今”を訪ねます。

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