北条義時の法華堂跡でランチ。
友人の『野うさぎサンド』。手作りのサンドイッチに、摘んだタンポポの葉をその場で挟んだものです。女子力高いですね。
法華堂跡の先の階段を上ると、3つの「やぐら」があります。中央が大江広元、左がその子で毛利氏祖の毛利季光、右が源頼朝の子ともいわれる島津忠久の墓です。
島津氏と毛利氏が、江戸時代に源頼朝墓のそばに墓を作ったものらしいです。清和源氏の血統であることを強調したかったんでしょうね。
イヌガラシとアオイヌガラシ
アオイヌガラシは、イヌガラシの花びらがないタイプ(王子より)
荏原天神は、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称されます。
頼朝は、鬼門の守護神としました。
「この景色を見せたかったんだよ!!!」(部長より)
🎶スズメの兄弟が川のふち🎶
左から、スズメノヤリ・スズメノエンドウ・スズメノカタビラ(王子の手のひら)
鎌倉宮の鳥居が見えます。この道の反対を行くと岐かれ道、金沢街道です。
ムシクサ
ムシクサは普通田んぼの畦に生えています。街中で見つかるということは、かつてこの辺りが田んぼだったことがうかがえます。
環境が変わっても生き続けるムシクサ。応援したくなりますね。
滑川~犬懸橋より~
朝比奈峠を水源として、由比ヶ浜にそそいでいます。
アリアケスミレ
犬懸ヶ谷
かつては犬懸上杉家の屋敷があった。
犬懸上杉家は室町時代に関東地方に下った上杉氏のひとつ。中期には関東管領となり勢力をはった。上杉禅秀の乱で大きく衰退。
この先の道は、平安末期には存在していて、鎌倉の主要幹線である六浦道と古代東海道をつなぐバイパスだったと考えられるそうです。
私たちの知る東海道は東京~京都ですが、古代東海道は東京を通ってなかったんですよ。
相模から三浦半島を南下、浦賀水道を通って房総半島へ渡ります。富津(または天羽)から、今度は北上して上総から下総、そして常陸へ。
徳川家康が整備するまでは、江戸は湿地帯だったそうです。
ヒメスミレ
この先は釈迦堂口切通。
鎌倉幕府三代執権の北条泰時が、父である二代執権義時のため釈迦堂を建立した事による。
土に点々と小さな穴が空いています。これはツバメが巣をつくるため、材料の土を運んだ跡なんです(部長より)
逃げられてしまったけれど、今年初のツバメを見ました。春ですね~(*^▽^*)
50種類以上の植物を観察した鎌倉野草散策でした。
みちくさ部長、ハーブ王子ありがとうございました。
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