私たち講師も昔は小さな生徒でした。
先生についてピアノがもっと上達するように必死で頑張って来ました。悔しかったこと、苦しかったこと、いっぱいありましたが…今となっては懐かしい思い出です。
でもその時はその時に取り組んでいた課題でいっぱいいっぱいで、遠い未来のことなど考える余裕もなく、ただ泣いて笑って練習して~の繰り返しでした。
先生に言われることを忠実に守り、できないこともできるように小さいながらも努力していたはずです。特に私はピアノに移行するのが遅かったため(小学校1年生)、同じ学年の友達に比べて指が弱いと言われ続けていました。
4歳からオルガン(〇マハ音楽教室のグループレッスン)を弾いていましたけれど、ピアノは持っていなかったので、6歳からピアノを習いだしたときはカルチャーショックのオンパレードでした。
何しろ、先生のおっしゃる通りに指の構えができない。ほかの子が当たり前にできているフォームが私にはつかめない。指が弱いって言われるのだけど、どうしたらいいかわからない。
始めからピアノで練習できる子との差を、嫌と言うほど味わった小1時代でした。
それでも、両親は私がピアノを習いたいという熱意があることを酌んで、高額なピアノを買ってくれたのでした。
同じ学年の生徒は多分4~5人いたような記憶がありますが、私はいつもビリッケツ(笑)。
習っていた先生はとても優しくでも厳しく、みんなに公平な態度で指導してくださったので、劣等感は常に付きまとっていましたが、楽しくピアノを続けることができました。
きっと、私のあきらめの悪さも関係あったと思うんです。できなくても、しつこく食い下がる子だったのですね。そのしつこさは、今も健在です(^-^;。
中でも、ブルグミュラー25の練習曲は大好きだったのですが良く泣きました。できなくて。うまく弾けなくて。
表現の自由さも求められるこの曲集は、難しさもあったけれどやはり楽しかった。弾きこむほどに心地良さが感じられました。
難しさや、自分の実力の無さだけにとらわれないで、取り組むようにと指導してくださった先生のおかげだと思います。
ただ厳しく、ダメ出しばかりする先生だったら、きっと私はもっと早くにピアノを諦めていたでしょう。根気よく続けることに意味がある、と伝え続けてくださった最初の先生に感謝です。
褒めるときには心から褒め、叱るときには本気で叱る。
その先生の姿勢が、今も私の指導の根底にあるような気がします。
音楽の友社・ブルグミュラー25の練習曲
私が子供時代に使った楽譜は、全音の版でした。
今私が生徒さんに渡すのは、この音友社の版が多いです。もちろん原典版も全音の版も使いますが、最近はこの音友社の版を。
春畑セロリ先生の解説が、生徒さんの想像の翼を広げてくださるからです。生徒さんに解説を自分で読んで曲の理解の助けになるように促し、楽語の意味を調べ、楽曲により意欲的に取り組んでくれたら言うことなしです。
昨日のレッスンでも、この版を使って指導した生徒さんがいました。
Sさん。読譜が苦手で、一曲仕上げるまでに時間を要する生徒さんです。でもピアノが大好き。私とのレッスンも大好きでいてくれます。いっぺんに多くを課題として出すとなかなか先へ進まなく、ゴールが見えにくくなり、やる気も低下してしまいがちなSさん。
ですから課題は少な目に、その中で深く学べるように指導しています。
どうやらそのやり方が、彼女には合っているようです。
私のところに通うようになって9年目。ゆっくりでも彼女なりに成長しています。私はそれでいいと思っています。誰と比べることなく、結果だけにとらわれず、自分が心地よいと感じるまでその楽曲と付き合う。楽しい!わかった!嬉しい!と感じられなければ、いくら早く曲が進んでも意味がないから…。
先日、過去のムジカノーヴァを読み返していて、心に残る箇所がありました。
読み返すという作業も大事ですね。
ルイ・レーリンクのピアノワークショップのレポートの最後、「もっと音楽を楽しむために」より。
「こう弾かなければならない」ということにとらわれて、ピアノを楽しめなければ、せっかくの音楽がもったない。「あのとき先生にこう言われた」とか「間違えたら恥ずかしい」とか、過去も未来も気にしないでください。ピアノに向かうこの瞬間、いま鳴っている音に耳を傾けるのが、いちばん幸せではないでしょうか。
私はそう思うんです。
ぽちっ! ブログランキングに参加しています♪ 応援してね
↓ 個性豊かな先生方に出逢えます
にほんブログ村
2014年12月20日オープン!
レッスングッズのネットショップです。
講師のみなさまのお役に立てましたら幸いです。 やすこ先生のお店
ぜひ一度お訪ねくださいね。
※ただいま製作はできませんが、在庫がある分は
発送できます。お気軽にご注文くださいませ。
教室についてのお問い合わせはHPからどうぞ