空手の試合のルールの中では絶対に勝てるというという神話みたいのは存在しないということ。
なぜなら、攻撃範囲の制約、使用可能な技の限定、時間制限など規制があるほど体格や体重差が勝敗を大きく分けてしまうことになってしまいます。
より速く、より強く、という当たり前の思考の中で競い合っていたら、筋力があって体重が重い奴が当然有利だということ。
だからほとんどの格闘技は体重による「階級制」を導入しています。
階級制を導入している格闘技には、軽い奴は重い奴に絶対に勝てないという前提があるのです。
では、ルールや階級制がまったく無かったらどうでしょうか。
自分を殺そうと迫ってくる暴漢に対し、自分より体重が重いからフェアじゃないとか言いながらむざむざ斬り殺されるなんてあってはなりません。
そこで要求されるのが発想力。
圧倒的不利な状況から、一発逆転、ひっくり返す手は無いかと考える発想力がとても重要になってきます。
卑怯でもなんでもとにかく生き残ることを前提に考えることが最優先になってきます。
審判のいないルールの場で、弱い者がどうやって強者を倒し、生き残るか・・・
そこを探求するのが武道の本質でもあると考えております。
「はじめ!」のかけ声から動き始めるのがスポーツ。
はじめ!のかけ声がかかる前に相手の行動を制圧し、場合によっては死の制裁を加えなければならないのが武術。
恥も外聞もなく、とにかく生き残る方法を考えることが武術の本質ではないかと思っています。
卑怯でもなんでもまずは生き残ることが最優先事項。
天白の空手教室では、武器にできるものは何でも利用することを教えます。
名古屋市天白区の武禅館ではお子様に命を最優先に守ることを教えています。