なぜ、この題材か?人は知らない人間のことなど想像も出来やしない。
昨日、それを再び思い起こす出来事に遭遇した。昨日は二人でラーメンを食べに行った。その途中、前の車が変な動きをしたわけだ。
微妙に軌道を変えてゆっくりと動く。助手席にいた俺は、最初これは工事か事故があるのかと思った。しかし答えは違った。まえには何らかの物体が存在したのだ。
その物体は不器用ながらも動いた。少し近づくと猫だと分かった。
俺は、きっと飛び出した猫が引かれたか、恐怖でびっくりして動けなくなったと思い、ドアを開けレスキューにいこうとしたわけだ。もし死にかけていたとしても、道路に放置して車にどんどん引かせていくなど、俺には生物の根源して許すことができない。
しかし、やはりドライバーにとってそこまでは頭が回らないのであろう。おれに対して何をしているのかを聞くわけだ、いくら運転をしていても、前の車が変な動きをしてその前方に不審なものがあればそれが何かを認識する責任は存在するだろう。
それは、さておき、仮に虫の息だとしても助けてあげなくてはかわいそうと思い、ドアを開けてそこまで行ったわけだ。やはりそれは猫だった。赤信号を勉強しろと思いながら、外見に負傷がないので腰を抜かしていた猫をがっちりホールドして持ち上げたわけだ。
案の上、びっくりして動けなくなっていた猫みたいでつかんで持ち上げると暴れるわけだ。
これは計算にあったのでがっちりと抱きかかえて危なくないところまで連れて行ってあげた。お世辞にも美人な猫ではないが、愛着はある顔だ。がっちりと抑えつられ観念したのか俺が歩道の一番安全な場所まで連れて行くときは最初以外暴れなかった。一応、足を怪我したのかと思い、歩道のかなり安全な地域まで連れて行って、そっと置いたのが一目散に走って逃げるわけだ。俺が、ひげ面だからって、お礼の挨拶ぐらいしろよと思いながらも元気に逃げていく猫。一安心だ。
ここから俺が思うのは、色々な事に気を配ったり、目配りできる人間が日本の社会でも減ってきているのではないかということだ。若者は、ただ単に、気の合う友人どもとしか絡まず、大人は身近なコミュニティーの人ととしかコミュニケーションをとらない。
だからマイノリティーやよそ者の気持ちが分からないのだ。
これが、多くのユーザーを無視したパナソニックやSharp, Sonyの結末。
行きづらい日本の結末だ。
たっちゃんよ 目覚めよ。