時間と今 | 考えすぎ

時間と今

時間は、確かに大切だ。
けれども、時間を気にすればするほど見失ってしまう、もっと大切なものがある。
それは、「今」という瞬間。


時間を気にする、ということ。
それは、次々と過去に変わっていくような未来を強く意識する、ということだ。
人は、時間を気にして、
未来が過去に変わってしまう前に、その未来をよりよいものにしようと考え、計画を立て、努力する。


しかし未来は、一瞬にして過去に変わっていく。
目まぐるしく、まるで矢のように。
この目まぐるしさは刻一刻と押し寄せてきて、決して終わることがない。
だから時間を気にしていると、
まだ見ぬ未来と、もう変えられない過去にばかり気を取られてしまうことになる。
時間を気にする限り、心は、未来と過去に縛られる。
そして、肝心の今を見失う。



時間は、しばしば、「過去」「現在」「未来」に分類される。
しかし直観的に言って、「現在」を時間として扱うのには少し無理があるように思う。
「現在」は、時間ではない。
瞬間だ。
瞬間を捉えるためには、その瞬間に向けて心のすべてを集中させる必要がある。
あっという間に終わってしまうのが瞬間であるから、瞬間を捉えたければ、時間などを気にしている余裕はないはずだ。
「現在」を捉えることと、時間を気にする(つまり「未来」や「過去」を気にかける)ことは、
そもそも両立しない。


さて。
今という瞬間と、時間。どちらのほうが大切だろうか。
おそらく、今という瞬間のために死ねる人はいても、時間のために死のうとする人はいない。
時間は、お金などと同様、使うことに意味のあるものだ。
お金に命を捧げることが馬鹿げているように、時間に命を捧げることは馬鹿げている。
当然、言うまでもなく、今という瞬間のほうが時間よりも大切だ。


人は誰もが、今を生きている。
過去や未来を生きているわけではない。
過去や未来は、「今」次第でどのようにも姿を変えるものだ。
だから忘れてはならない。
今、この瞬間を。
いつも中心に置かなければならない。
今、この瞬間を。