思ったこと。感じたこと。今を生きる個人ブロガーからの、熱いメッセージの数々。 → 『ブロガーは思う』

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2012年05月12日(土)

路線変更

テーマ:今日の「まこっちゃ」

ブログを始めて以来ずっと、
何か思いついたらメモをとり、
落ち着いたらパソコンに向かい、おもむろに書き始める、
・・・ということを続けてきた。


でも、ここ最近、
(公私ともに忙しかったこともあるが、)しばらくメモもとっていなかった。
昨日、久しぶりにブログのページを開いたけど、
「何かメモしてあったっけ」
と思いながらメモ欄を見てみたら、まだ記事にしていないものは何もなかった。




良い機会だ。
これからは、アドリブでいこう。
記事を書けそうな時に、パソコンに向かい、
その場で何を書くか決めることにしよう。


もともと僕はアドリブが下手だったし、
仕事でも生活でもそれが少し足かせになっている部分もあるから、
良い訓練にもなるかもしれない。
それに、メモをとってから書くより、その場のアドリブで書いてみるほうがおもしろそうだし。




・・・ただ、一つだけ問題が。
すぐに書けない状況で、重要な何かを思いついてしまう時がある。
(というか、今までメモしていたことも大体そういうものばかりだった。)
そういう場面は、今後もあると思う。
どうしよう。


その時は、やっぱりメモをとろう。
その代わり、"いつメモしたものか"を明記することにしよう。
よし、そうしよう。

2012年05月11日(金)

共有欲

テーマ:自己紹介

意味を見出すのは、たのしい。
見出した意味を伝えるのも、おもしろい。
でも、
もともと意味があったり、意味を与えられたりするのは、つまらない。


きっと、ここにも
目には見えない弱肉強食の世界がある。
価値観と、価値観とのぶつかり合い。せめぎ合い。


自分が見出した意味を、自分の世界の基準にしたい。
貫きたい。通したい。誰にも侵されたくない。
・・・自然な気持ちでしょう。




人は、それぞれのやり方で、
自分なりの意味を築き上げ、それを守ろうとする。
僕も例外ではない。


まさに、上に書いたようなことを、僕が意味付けしているのだ。
「意味を見出すのは、たのしい。」
とか、
「見出した意味を伝えるのも、おもしろい。」
とか。
そうは思わない人だって、いるかもしれないのに。


つまり、(僕が書いている)この文章も、
決してフェアな立ち位置で書かれたものではない。
僕が、僕の価値観を正当化し、守ろうとする意図が少なからずあるのだ。




僕は、
「もともと意味があったり、意味を与えられたりするのは、つまらない。」
と思っている。
他の人がすべてそう思うわけではないのかもしれないけれども、
僕自身がそう思っている。
だから、そういうつまらない伝え方は、どうしてもしたくない。




たぶん、価値観の共有欲が強いのだろう。


「価値観の共有なんてできない」
と言う人もいる。
僕も、その考えは的を射ていると思う。


でも僕の場合、
「価値観の共有なんてできない」
と言いつつ、
「価値観の共有なんてできない」ということを共有しよう
と、密かに目論んでいるような所がある。

2012年05月01日(火)

爆発と内省

テーマ:「まこっちゃ」の脳内会議

爆発。
いや、これは爆発じゃない。
内部爆発なら、既にたくさん起こっている。
それを外に出さないよう、なんとかせき止めていたが、
持ちこたえられなくなって噴出してしまったのだ。
だから、これは爆発じゃない。
元の爆発に比べれば、威力は相当落ちている。


でも、外部からは、これがオリジナルの爆発に見えるらしい。
これでも、けっこう控えめに抑えているんだけどな。
・・・なんて、そんなこと、「わかれ」と言うほうが傲慢だ。
内部でくすぶり続け、時々爆発していたことなど、外部からは知る由もない。
外部から見れば、今回のこの噴出そのものが青天の霹靂なのだ。


それにしても、よくもまあ重なるよ。
いったい何なんだ、ってくらい。
前向きに何かを始めようとしている時に限って、これだもの。まったく嫌になる。
日頃の心がけがいけないのかな。
まだ、僕は本気で頑張れていない、ということなのかな。
「中途半端に頑張ったふりをするな」と、お灸をすえられているのだろうか。


・・・あー、やだやだ。
またこうやって、「自分は大変な思いをしている」アピールをしてるわけだ。
たいして大変なことをしているわけでもないくせに。
本当に頑張っている人は、そんな素振りは少しも見せずにちゃんと頑張っているのに。


充分、恵まれているじゃないか。
あれこれ考えるのもいいけど、
感謝しながら本業に専念し、まっとうした方がいいんじゃない?
今からでも、やれるだけやってみるしかない。


さあ、気を取り直して行こう。
こうして今回、書き始めたことは正解だったと思う。
少なからず気持ちの整理ができてきたからね。

2012年04月26日(木)

就寝前に何か書こうとして

テーマ:今日の「まこっちゃ」

うん。これでいい。


何か書こうとして、眠くなってうつらうつらして、
「これじゃ何も書けないから、やめよう」
と一度は思ってみたけど、
何も書かないよりは、書いたほうがいいような気がしてきた。


人って、そんなもんでしょう。
変に意気込むと、逆に煮詰まってしまう。
実際には、
本人の心のありようとは無関係に、世界は動いていくのだ。


もちろん、意気込んでしまう時もある。
それはそれで、
「人って、そんなもんでしょう」と思う。




さて。もう寝ます。おやすみなさい。

2012年04月23日(月)

『生きていれば』

テーマ:『ダムの決壊』 更新情報

『ダムの決壊』『詩』 に、『生きていれば』を追加しました。




人は、途上の日々を歩んでいます。
夢への途上。挫折の日々。
死への途上。後悔の日々。


夢に向かって真剣になれるのも、
その道のりが、死への途上にあるからではないでしょうか。
限りある命だからこそ、必死になれる。
限りある時間だからこそ、本気になれる。


正直、過酷な現実です。
このことを簡単に美化しようなんて思いません。
でも、現にこのような厳しい現実があり、
そのことを自覚していればこそ、心の底から真剣になることもできる。
・・・ということは、やはり事実でしょう。


そんな思いから書いた詩です。

2012年04月13日(金)

正当化しなければ始まらない

テーマ:存在

「自分を正当化するな」
と言うけれど、
正当化しなければ存在できないのがこの世界の定め。


この世界に棲む限り、自己正当化の道のりは終わらないし、
存在しようとするものが二つ以上ある限り、対立は決して無くならない。
「自分を正当化するな」
と言うこともまた、対立の表れかたの一つに過ぎない。


そもそも、正当化するところから、存在は始まっていくのだから。

2012年04月11日(水)

親子と言えども他人同士

テーマ:子供と大人

「親なのに気づかなかった」

・・・我が子が抱えていた問題を知った時の、親の言葉だ。


それは、
本当にその親が自発的に思い、語った言葉なのだろうか。
ひょっとすると、
周囲の人々の心情を察して、
いわば、多少なりとも"周囲の目を気にしながら"語った言葉ではないのだろうか。


文化が違えば、基準も変わってくる。
例えば、
ある文化圏では"過保護"のほうが問題視され、
ある文化圏では"放任"のほうが問題視される。




我が子の変調に気づかない親に、責任がまったくない
とは思わない。
しかし、親子と言えども他人同士である。


何もかも気づくのが当然、と思うことのほうが不自然だろう。
いくら我が子のことでも、
あらゆるすべてを予測しようなど、根本的に無理がある。
わからないのが当然、と思うところから出発するのが妥当だろう。


基本的には、わからない。
けれども、単に「わからない」で終わらせるのではなく、
何とかして、そこを乗り越えてわかろうとする。わかろうとし続ける。
それが親の、子に対する眼差しなのだと思う。

2012年04月09日(月)

駆け込み乗車をしたら

テーマ:現代社会

駆け込み乗車。
僕も、したことがある。
さして罪悪感もなく、"うまく乗れれば儲けもの"くらいの気持ちで。
ごく自然な行動として。


「危険ですから駆け込み乗車をしないでください」
と駅員がアナウンスする光景は、
今の列車運行システムが現状のまま続く限り、
10年後も、20年後も変わらないことだろう。
"駆け込み乗車"という行動は、
人間の、あるいは日本人の(冒頭で述べたような)単純で基本的な心理に由来している
と思う。




駆け込み乗車は、それ自体が危険な行動である。
しかし、問題はそれだけではない。
大勢が利用する電車で、身勝手な駆け込み乗車が重なれば、
それだけ列車の発車時刻も遅れ、運行ダイヤが乱れる要因になる。


2005年の福知山線の脱線事故 が起きた背景には、
過密ダイヤの問題があった、と言われている。
JR西日本は、
列車の運行に対する乗客からのクレームに対処するべく、
「サービス向上のため」と銘打って、無理に運行本数を増やし、
遅延した際には回復運転を強行させていたらしい。
回復運転とは、
遅延を取り戻すために通常よりスピードを上げるオペレーションのことだ。
それだけが事故の原因ではないけれども、
こうした背景の中、あの脱線事故は起きた。




人間は、元来、身勝手な生き物だ。
良くも悪くも、
自分にとって都合の良い生き方を選び、
自分にとって都合の良い考え方を採っている。
それが人間らしさでもあるのだから、そのこと自体を否定するわけにはいかない
と思う。


けれども、
"駆け込み乗車"をしてしまった時、
「自分も、福知山線の脱線事故の間接的な加害者なのだ」
と気づくことくらいは、必要なんじゃないかと思う。
「ああ、またやってしまった」
と思う瞬間が増えていけば、自然に、自発的に、しなくなっていく。
そういうものではないだろうか。




「そんな悠長なことを言っていられない」
と言う人もいるだろうし、逆に、
「そんなことまで気にしていられない」
と言う人もいるかもしれない。
けれども、この問題は、
その場でルールを強制すれば解決するような簡単な話ではないはず。


もちろん、応急処置として一時的な解決を図ることも必要だろう。
しかし、本当にその解決を望むなら、
永続的な解決を目指すことも、同時に考えていくべきだ、
と、頭でっかちな僕は思ってしまう。

2012年04月06日(金)

"好きなこと"の判定基準

テーマ:心/感情

ほめられるのが嬉しくてやっていることや、
ほめられたくてやっていることは、
本当に好きなことだとは言えない。
この場合の"好きなこと"は、
やっていることそれ自体ではなく、「ほめられること」のほうだ。


本当に好きなことなら、
ほめられるかどうかに関わらず、
ただ、それをするだけで満足するものだ。


もちろん、初めはほめられたくてやるのでもいい。
実際、それが入り口になる場合は多いと思う。
しかし、
いつまで経ってもただ"ほめられたくて"やっているだけなら、
それは、きっと、本当に好きなことではない。

2012年04月04日(水)

苛立ち

テーマ:心/感情

苛立ってどうしようもない時、うわべだけの慰めは要らない、
と思うのに、
放っておかれても悲しくなる。


そんな自分の幼稚さ、身勝手さに気づいたら、
今度は、
自分自身に無性に腹が立ってくる。
焦燥感と、怒りと、虚しさで
アイデンティティーが揺らぎ、
自分の輪郭がぼやけ、枠組みがじわじわと崩れていく。




こうなったら、もう、
本人の気が済むまで見守るしかないのかもしれない。


諭すわけでも、否定するのでもなく。
かといって、離れるでもなく、うわべだけの肯定もせず。
宙ぶらりんの状態のまま、
意識を向けつつ、そこにいて見守るしかない。


結局のところ、
自分で結論を出し、自分で納得するしかないのだから。

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