思ったこと。感じたこと。今を生きる個人ブロガーからの、熱いメッセージの数々。 → 『ブロガーは思う』

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2012年02月13日(月)

悪い想定のほうがウェイトが大きく

テーマ:自己紹介

どうやら、他の人たちは、
「これ以上、考えないようにする」
ということができるらしい。
僕には、そんなこと、とてもじゃないけど意図的にはできない。


僕は、考えつく限りの想定をしてしまう。
覚悟もできていないくせに、想定だけしてしまう。
(もちろん、その時点の僕が想定もできないようなことは、想定できないから想定しないけれども。)


悪い想定のほうがウェイトが大きく感じられてしまうのは、
僕に感情があるからだろう。
つまり、その想定を無視できないが故に、
感情の働きによって、悪い想定のほうに意識が引きずられるのだ。




でも、そんなことはわかりきっていて、
だから、変に意識が引きずられるのを防ぐために、
「これ以上、考えないようにする」
ということを皆、しているのだと思う。
極めて合理的だ。


僕から見れば、
どうしてそんな器用なことができるのか、不思議でたまらない。
けれども、周囲の人から見れば、
僕がどうして延々と考え続けてしまうのか、しばしば理解に苦しむらしい。

2012年02月10日(金)

デジタル知覚と「不自然さ」

テーマ:知覚(錯覚)

以前、『デジタルなのは、機械よりも人間のほう』 という記事でも書いたが、
見たものをデジタル化して捉えているのは、人間のほうだ。
しかし、
対象そのものが初めからデジタルに作られた存在であった場合、
その対象は、人間から見てもやはり不自然に見える。


例えば、対称性。
人の顔は、もともと左右対称ではないが、
普段あまり意識していない時には、それを左右対称的に捉えている。
左にも右にも目があり、中央に口がある、・・・という具合に、
確かに、おおまかに見れば人の顔は対称的になっている。
だから人は普段、ディテールは無視して、それを「対称的」とデジタル化して捉えているのだ。


しかし、初めから左右対称に作られたロボットやCGの場合、
最初から「対称的」というデジタル化の理想形になっているにも関わらず、
どこか不自然に見えてしまう。
つまり、
見たものをデジタル化して捉えているのは人間のほうだが、
もともとデジタルに存在しているものに対しては、人間もまた不自然に感じる、
ということだ。


人間は、あくまでも自然なものをデジタル化して捉えているのであって、
最初からデジタル化されているものを好んでいるわけではない。
これは、けっこう重要なことかもしれない。
デジタル化して捉えることによって、物事のディテールを省略して素早く把握することができるし、
最初からデジタル化されたものに違和感を覚えることによって、作為的な異変にいち早く気づける。
そのことが、脳を発達させた人類が生き抜く上での、
重要なポイントだったのではないかと思う。

2012年02月09日(木)

親子関係

テーマ:家庭/家族

子が親に望んでいること。
それは、
自力ではできないことをしてもらうことと、
自力でできそうなことをする時に邪魔をしないこと。


手の届かない場所にある物は、取って欲しい。
抱っこも自力ではできないから、して欲しい。
でも、
もう少しでできそうなことをしている時には、
我慢して見守っていて欲しい。
見守ってもらうことは自力ではできないから、して欲しい。
・・・こんな感じか。




もう一つ補足。


親は、神ではない。
子に悲しい思い、悔しい思いをさせてしまう時もある。
人間である親子関係にとって、
それは避けては通れない道なのだと思う。


ただし、子は言い返せない。
子は、親の枠組みの中で生まれて来ざるを得ないのだから、
親に対抗しようとしても、どうしても分が悪いのだ。
・・・ということを、
親は理解しておく必要がある、と思う。

2012年02月08日(水)

生き甲斐の成り立ち

テーマ:人間/人生

人生の転機となるような、事件。


それが、その人にとって、
いろいろな意味での制約となり、
また、生きる上での主軸にもなっていく。
そこに生きる意味を見出す人も多いだろう。


そもそも、
この世界に生まれてきた、ということが最初で最大の事件である。
このことが、すべてにおいて制約となっているし、
すべてにおける軸にならざるを得ない。




生き甲斐の成り立ちは、もともと受け身なのかもしれない。

2012年02月06日(月)

もっとも根本的な部分については

テーマ:自分取扱説明書

もっとも根本的な部分については、自分ひとりで決めるしかない。


例えば、
「どうすれば良いか」
ということなら、誰かに相談すれば解決するかもしれない。
「誰に相談すれば良いか」
ということも、何かで調べればわかるかもしれない。


でも、まず入り口として、
「とりあえず誰に相談するか」
「何を最優先にするか」
といったことについては、
そもそも、自分ひとりで決めるしかないし、自分にしか決められない。




もっとも根本的な部分については、自分ひとりで決めるしかない。
・・・これも、自分で決めたこと。
だから一般則ではない。
ましてや、誰にでも当てはまる原則だ、なんて言うつもりはない。


ただ、自分のために宣言しておく。
今後、再び迷った時のために。

2012年02月01日(水)

踏み出せるまでが遅い

テーマ:「まこっちゃ」の反省

問題を、問題として自覚するだけでなく、
身をもって実感し、
具体的な解決や改善のために別の方法を現実に試してみる
に至るまでの閾値が、
僕の場合、異常に高いらしい。


ほんの、ちょっとした切り替えで済むことが多々ある。
その、「ほんの、ちょっとした」ことが、
僕にとっては難しい。


どうすれば気持ちを切り替えられるのか、でよく悩む。
周囲の状況が変わらなくても、自分の気持ちだけ切り替える
ということができた試しがない(気がする)。




ただ、そのお蔭か、
気づいた時の衝撃(感)は、人一倍大きいんじゃないかと思う。
その衝撃が、脳裏に深く刻み込まれる。
僕の人間性は、そうやって遅ればせながら成長してきた。


本当に成長できているだろうか。
一進一退を繰り返している気がする。
小学生の頃よりも後退しているように思える時もある。


でも、僕は、こうして生きている。
生かされている。
こうしてばかりいられない。


ありがとうございます。
これからも頑張ります。
何卒、引き続き宜しくお願い致します。

2012年01月30日(月)

間の悪い行動を起こそう

テーマ:矛盾/逆説

こんなブログ記事を読んで、ヒントを探し求めるより、
今まで言わずにいた気持ちを、思い切って誰かに言ってみたほうがいい。


今の自分には、こんなことをする資格はない、
・・・と思っているとしたら、あえてそれをやってみるべき時かもしれない。
うつ病の人にとって「頑張れ」は禁句だ、と言われているけれども、
ずっと状況が変わらないようなら、あえて「頑張れ」と言ってみるべきかもしれない。
そして苦しくなって爆発したり、倒れてみたりすることによって、
初めて、錆びついた世界がようやく動き始める場合もある。
・・・もちろん、それでも何も変わらない場合もあるけれども。


自力でなくてもいい。
誰かに促されて渋々、でもいい。
それでも動いてみることができた。
昨日と同じじゃなかった。
そのことが大きい。


だから、こんなブログ記事を読んで終わり、ではいけない。
泣いて、わめいて、迷惑かけて、けんかして、
・・・そういうことも時には必要。
本当に大切なものは、その程度のことで失われたりしないだろう。
その程度のことで失われるものは、
その程度のものでしかなかった、ということかもしれない。


今日を、印象深い日にしよう。
こういうことは、ぎこちないほどいい。
タイミングの悪いことほど、印象は深く脳裏に刻まれるものだ。

2012年01月26日(木)

運は大きい

テーマ:現実

運の要素は大きい。


・・・でも、そう言い切ってしまうと取りつく島もない。
だから、才能や実力もあった、と言い添えておく。
そういう心遣いの形もあるのかもしれない。




僕は、(少なくとも今までは)いつも、生かされてきた。
自分の実力で生きてきたのではなかった。
でも、こんなことは露骨に言うもんじゃない。
・・・と、書いてしまっているけれども。


僕は、本当のことを知りたい。言いたい。
自分の株を自分で下げてしまっていることは、その代償だと思っている。

2012年01月18日(水)

失うことと、得ること

テーマ:人間/人生

失うことは、解放されることでもあり、
得ることは、束縛されることでもある。


何が良くて、何が悪い、という問題ではなく、
これは、トレードオフの問題。


「得る」、「失う」という語感からか、
とかく、得ることは良いことだ、失うことは悪いことだ
と、捉えてしまいやすい。
けれども、実際そうではない。




何を手放し、何を手に入れるか。
それは自分の、さじ加減にかかっている。


よく吟味しなければいけない。
自分は、何を失っても良くて、何から解放されたいのか。
自分は、何を得たくて、何に束縛されても構わないのか。


覚悟をどこに置くか。決めるのは自分だ。

2012年01月12日(木)

青いことを言っていい

テーマ:矛盾/逆説

青いことを言っていいんだ。


かつて、青いことを言っていた人が、
いつか現実を知り、反省して、
「青いことを言う人」をたしなめる側になった時、
青いことを言う人がいなければ、たしなめる練習もできなくなるでしょう。


だから、
青いことを言っていいんだ。
青いことを言う人が、必要なんだ。

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