むなしさ | 考えすぎ

むなしさ

「むなしさ」は、人の心を苦しめる。


生き甲斐がなくて、むなしい。
だから、生き甲斐を見つけようとする。
何か、打ち込めるものを探そうとする。


一人ぼっちでいると、むなしい。
だから、仲間を大切にしようとする。
仲間と共有できるものを、少しずつ増やしていこうとする。



・・・このように、原因を取り除くことによって克服できる「むなしさ」がある。
しかし、その一方で、
どうやっても原因を取り除くことのできない「むなしさ」がある。
それは、そもそも存在していることそれ自体の、むなしさ。


例えば、ふと我に返って、
「そもそも、生きていることって結局、何なのだろう?」
と問い始めると、生きていること自体がむなしくなってしまう。
一度こうなってしまったら、もう、
生き甲斐があろうとなかろうと、そんなものはどうでも良くて、
ただ、生きていることがむなしいだけなのだ。


存在していること自体がむなしくなってしまったら、もうその瞬間に、
どんなに親しい仲間と、どんなに大勢で遊んでいたって、
ただ、目に映る光景のすべてがむなしいだけなのだ。




差し伸べられた手も、空虚にしか映らない。
心のこもった言葉も、まるで心に響かない。
本当は苦しくて、心の中では死ぬほどもがいているのに、
むなしすぎて、中途半端な慰めの言葉なんてとても受け付けられない。
そして拒絶してしまう。
まるで、恩を仇で返すかのように。


そういう、どうにもならない「むなしさ」もある。




この記事は、ぱんださんのブログの記事
「この世に生まれてきたことの意味」がわからない『むなしさ』の心理学
を参考にして書きました。