過重な記憶 | 考えすぎ

過重な記憶

記憶。
それは、自分が生きた証。
記憶があるからこそ、
今まで自分が生きてきたことを、またその道筋を確信できる。


記憶。
それは、過去への囚われ。
記憶があるからこそ、
過去の失敗を悔やみ続け、あるいは、過去の栄光に酔い続ける。
そして、「今」を見失う。


記憶は知っている。
自分の愚かさを。
自分の醜さを。
自分の悪意を。
自分の自尊心を。
自分の偽善を。
自分の馬鹿を。
人間として、途方もない馬鹿を。


記憶は、自分に、こう告げる。
「おまえは、これらの過去の続きなのだ」
「おまえは、これらの過去を消すことはできない」


・・・消すことはできない、だって?
そりゃそうだ。消すなんて、とんでもない。
仮にそれを忘れることができたとしても、過去は既に現実なんだから、
その責任から逃れることはできない。


・・・でも、僕が過去の続きだって?
バカ言っちゃいけないよ。どんな過去も、今の僕を縛ることはできないさ。
過去なんて、もう決まっちゃって動かないじゃないか。
「今」は刻一刻と動いていくというのに、
動けない過去に、いったい何ができるというの?



過去の記憶を無くしちゃいけない。それが僕の生きた証だから。
でも僕は、いつまでもその記憶に縛られるわけにはいかない。
昨日とはまるで違う自分に、周りの人は驚くかもしれないけれども、
その時は、昨日とは違う自分を自覚しつつ、精一杯また初めからやり直したらいい。
昨日の自分のことを咎められたら、
誠心誠意、謝るほかない。