勤勉で心の広い農夫が臨終のさいに、怠惰で欲深い息子たちに、畑の中に宝物を隠しているので、それを掘り起こすようにと言い残した。
老人が亡くなると、息子たちはただちに父親の農園に駆けつけ、教えられた畑を夢中になって掘り起こした。
ところが、黄金が見つからなかったので、彼らはますますその作業に没頭してゆき、ついには農園中を隅から隅まで、くまなく掘り尽くしたのであった。
しかし、それでも黄金は発見できなかった。
息子たちは、人のいい父親が、生前にすべての黄金を誰かに施したにちがいないと考え、探すのをあきらめたが、せっかく土地を耕したのだから、何か作物を育てればよいではないかと思いついた。
息子たちは小麦を植え、やがてそれは大変な豊作となり、彼らは大金を得た。
収穫を終えたのち、もしかしたら自分たちは、隠された宝物を見逃しているのかもしれないと、かすかな可能性について考えた彼らは、ふたたび畑を掘り起こした。
しかし、結果は同じであった。
その後、何年かが過ぎていくうち、働くことや、以前は知らなかった季節の移り変わりにも馴れ、正直で満ち足りた農夫となった彼らは、父親が何故あのような方法で自分たちを教化しようとしたのかを、よく理解できるようになった。
そして最終的に彼らは、隠された財宝のことなど気にしなくてもよいほどの、十分な富を手に入れたのであった。
★浅井ノート
人間の運命や人生の意味を理解させることは、
この寓話の中の父親の遺言のようなものだ。
会社組織であれば、部下たちのいらだちや混乱、欲深さに直面したとき、上司やメンターの立場の人間は、部下たちにとって何が有益であり、建設的な行動であるのかを見抜き、そのような行動へと部下たちを導かねばならない。
それが、講師・コンサルタントの在るべき姿だ。