さまざまな苦難を体験してきた真理の探究者が、ついにある日、通常の人間の能力をはるかに超えた認識力を持つ、悟りを開いた人物に出会った。
真理の探究者は、その聖者に懇願した。
「あなたについてゆくことをお許しください。あなたのお側にいることによって、あなたが得たものについて学ぶ機会をお与えください」
聖者は答えた。
「おまえはそれに耐えられないだろう。おまえには、さまざまな出来事から常に真剣に学んでゆくだけの、忍耐力が欠けているからだ。おまえは学ぶ代わりに、常識的な行動をとろうとするだろう」
しかし、真理の探究者は約束した。最大限の忍耐力を働かせて、直面した出来事から真剣に学び、既成の概念に従って行動しないように努める、と。
「では、ひとつだけ条件をつけよう」と聖者は言った。
「私が答えを与えるまでは、いかなる出来事が起きようと、何も聞かないと約束できるか?」
真理の探究者は固く約束し、二人は旅に出た。
その後しばらくして、広い河を渡るために渡し舟に乗り込んだとき、聖者はひそかに舟底に穴を空けて舟を沈ませた。しかも、舟の漕ぎ手が助けの手を差し伸べてくれたにもかかわらず、その恩にひどい仕打ちで応えたのであった。
真理の探究者は我慢できずに言った。
「あなたのせいで舟は沈んでしまい、この船頭は大変な損害を被った。しかも、溺れた人さえいるかもしれないのに、これが聖者のとる行動なのですか」
聖者は穏やかに答えた。
「だから、最初に言ったはずだ。おまえは我慢できずに、結論を急いでしまうだろうと」
「もうしわけありません。忘れていました」と真理の探究者は平謝りに謝り、自分の失敗を許してくれるように頼んだ。しかし、彼は、聖者の行動について、疑念を抱いていた。
二人はさらに旅を続けた。
次の国で、彼らはとても温かいもてなしを受け、王に歓迎されて狩りに誘われた。聖者はその膝のあいだに王の幼い息子を座らせ、一緒に馬に乗って狩りに出かけた。やがて狩りの一行から茂みによって隔てられたとき、聖者が弟子に言った。
「急いで馬を走らせろ、全速力でついてこい」
聖者はそう言うと、幼い王子の足首をへし折り、茂みに投げ捨てて、国境のはるかかなたまで懸命に馬を走らせたのであった。
真理の探究者はあまりのショックに混乱し、犯罪に加担してしまったことへの罪悪感から、体を震わせて叫んだ。
「あの王は私たちを友人として迎え、その後継者である息子を私たちに託したというのに、私たちはなんと恐ろしいことをしてしまったのだろう。いったいこの行為に何の意味があるというのですか。最も悪辣な男でも、こんなことはしませんよ」
聖者は弟子の方を向いてこう言った。
「友よ、私はなすべきことを行っているだけだ。おまえは観察者だ。しかし、観察者の域に達する者も少ない。おまえはそこに達したにもかかわらず、まったく学んでいないように思える。
おまえは、あたりまえの固定的な見方を離れられずにいる。約束を思い出してもらいたい」
「たしかに私は、あの約束をしたことによって、あなたから学ぶことを許されました。お願いですから、もう一度だけ私を許してください」と探究者は懇願した。
「今度こそ、習慣的な行為から逃れることがいかに難しいか、私にも本当に分かりました。もし、あと一度でも、あなたの行為を疑うようなことをしたら、そのときは、私を追放してください」
二人はさらに旅を続けた。
彼らは次に、とても繁栄している国に入っていった。二人はそこで、食料を求めたが、誰ひとりとして、一片の食べ物さえくれなかった。この国には慈悲という考えがまったくなく、客をもてなすというイスラーム教徒の神聖な義務も忘れられていたのである。
しかもこの無慈悲な住民たちはさらに、野犬を放って、旅人たちを追っぱらったのであった。やっとの思いで国ざかいまでたどり着いたとき、二人は空腹のために体がふらつき、死ぬほど喉が渇いていたにもかかわらず、聖者はこのように言った。
「私たちはここにとどまって、この壊れた壁を修復しなければならない」
二人は泥と藁と水をかき混ぜ、数時間も壁の修復に従事した。真理の探究者は極度の疲労感から、聖者との約束を忘れてしまい、不満を訴えた。
「こんなことをしても、一ディナールにもならない。私たちは二度も、善に対して悪で応えた。そして今度は悪に対して善で応えている。私はもうこれ以上、我慢できません」
「我慢する必要はない」と聖者は言った。
「もう一度、私の行為に疑問を投げかけたら、追放されてもよいと、おまえ自身が言ったはずだ。私たちはここで別れよう。私にはまだ為さねばならないことがたくさんあるのだ」
「だが、別れる前に、これまでの私の行為について説明しておこう。それを理解することによって、おまえはいつか、ふたたびこのような旅に旅立つことができるだろう。
私が舟底に穴を開けて沈ませた舟の行く手には、戦争のためにあらゆる舟を強奪している独裁者が待っていたのだ。私が足首をへし折ったあの少年は、あのまま育てば、将来暴君になるはずだったのだが、もう王国の跡継ぎにはなれない。
というのも、五体満足な者しか国を導いてはならないと、聖なる法に定められているからだ。
そして、この憎しみの国には二人の幼い孤児がいる。やがて彼らが成年に達したとき、この壁はふたたび崩れて、父親が彼らのために遺した財宝が現れるだろう。
二人はその財宝を手に入れ、この国を改革する力を得るのだ。このように、私は神の意思に従ったのであり、自分勝手にふるまったのではない。平安のうちに去れ」
★浅井ノート
人は行動に必ず肯定的意図を持っている。
その意図を受け入れ、理解しない限りは、本質は見抜けない。
また、学びにはステージがあり、自分の役割を明確にすることも
ビジネスでは重要だと考える。