やはり団塊の世代が悪いような気がする。彼らは、会社で、昼間は一生懸命働いてくれたのはいいとして、夜、飲み屋さんに繰り出して、酔っ払って、二日酔いで大変な思いをして……。でも、勉強しなかった。彼ら自身は自分の人生だから、好きにすればいいんですけど、親となり、教師となり、社会をリードする立場になったとき、下の世代の子供たちに何を教えたのか。腹が立ちます。
(作家・高村薫氏が毎日jpに寄せたコラム より)
「日本人」や「中国人」、「公務員」や「民間人」といった大まかなひとくくりにしてすべてを論じるようなやり方は好きでありませんし、あまり良くないことも多いのでしょう。
そのことを了解した上でという限定はつきますが、高村氏の上記指摘はなかなか考えさせられます。
私は今後は勉強し続けないと厳しい社会になっていくと思います。
何が勉強かという定義も難しいのですが(「何が勉強かという定義すら難しい」とも言える厳しい状況なのでしょうが)、とにかく勉強し続けないと厳しい。
少なくとも勉強し続ける習慣をつけていないと厳しい。
以前にもこのようなことをこのブログで書いていましたが、その時の悪い例として「仕事から帰ってきて毎日放送している巨人戦をビール片手にほろ酔い気分で見ている。毎日これの繰り返し」と言ったものでした。
以前は巨人戦を毎日TVで放送していたので団塊世代のお父さんはこのような生活をしていた方も多いのではないでしょうか。
当時は良かったのかもしれませんが、今後を生き抜いていかないといけない世代としては、このお父さんに近い状態ではかなり厳しい。
「厳しい」と言うのは「多くの人が得たいと思っている所得を永続的に得ることができない可能性が高い」と言うことです。
私は変わり者なので世間様となかなか意見が一致しません。
「ゆとり教育」が悪いと言われていますが、私としては「別にいいのでは?」位にしか思っていません。
(イメージ先行で実際は違うらしいけど)「円周率=3」で何が問題なのか分かりません。
逆に3.14ではないといけないのか教えてほしい。
何故もう1ケタ足さずに3.14なのか。3.1ではないのか。
3よりも3.14の方が正確な円周率に近いのだろうが完全にπに一致しないのではないか。
私が書いたこんな議論が本質的だと感じる人がいるだろうか?
「ばかばかしい」と感じる人が大半ではないか?
では「ゆとり教育」の問題も同じじゃないのか?
勿論一定の知的レベルは必要なのは分かります。
しかしながら私個人としては最も大切なのは「大人になってから(も)勉強し続ける」事が出来るかどうかだと思っています。
いくら学生時代に勉強したって、大人になってから勉強しなくなったらしょうがないだろう。
高村氏の例で言えば「夜、飲み屋に繰り出していったオヤジ」だし、私の例で言えば「毎日ビール片手に巨人戦を見ているオヤジ」であるわけです。
きっと彼らの時の教科書は今の教科書よりも厚かったでしょう。
円周率も3.14だった。
「で、何?」というのが私の考え。
教科書が今よりも厚くたって「あれじゃ、しょうがなくね?」と。
教科書が薄かろうが、大人になって必要性を感じてちゃんと勉強するようになればそれでいいし、その方が大事だろうと。
そりゃ、いろんなことを知っていた方が基礎がしっかりしているから勉強しやすいだろうし、大量に勉強した経験がある方が、勉強を習慣にしやすいのは事実です。
でも、それは50%真実だけど、半分の50%は真実ではないと思います。
というのは学問をする大学は別として高校までの勉強法で大人になってから対処できるのケースはほとんどありません。残念ながら。
もしそのような勉強法だけで対処できる仕事だとすればそれはずっと低賃金のままでしか推移しない仕事です。
もし高給取りであるとすれば危険な仕事であるとか他の人が相当やりたがらない何か理由があるか。
このようなごく一部の職種を除いてほとんどのケースで学校式の学習法は50%も通用しない。
なぜかと言うと「ここからここまでの範囲を学習しなさい」なんて言う勉強で対処できるものなんてほんのわずかだからです。
私の経験では30%もないのではないでしょうか?
世間では公務員の世界をどのように思っていらっしゃるのかどうかは分かりませんが、出先機関の末端にいる主任にもなっていないヒラの職員でもそのように感じます。
他の役所はどうだか知りませんが、私が8年間勤めてきてそのように感じます。
勿論、法令・通達・疑義解釈集を読むなんて言うのは必要ですから「学校式」の勉強法もいります。
いりますけど、そこで終わりじゃないんです。
それ以降の勉強は範囲も決まったテキストもないんです。
何を勉強するかを自分で探し当てて、自分でテキストを探して、ひたすら続け行く。それしかないんです。
学校の勉強みたいに「これをやりなさい」じゃないんです。テキストも誰も与えてくれません。
私の大学時代の友人は全く違う役所に勤めていますが、彼は資格を得る事を中心に勉強しています。
自分の仕事内容などを加味して受験する資格(複数)を決めているようです。
それは1つの正解です。
私は以前社会保険労務士試験の勉強していたこともありましたが、今は全く資格試験のことは考えていません。
それも1つの道だと思います。
思ったよりも長くなってしまいました。
その上、今回はいつもよりも増して口調がひどい。
で、何が言いたいのか?
一部にゆとり教育世代の若者をバカにする風潮がある(バカにする言動する輩がいる)ようだけど、「それってどういうこと?」ということ。
「今の若者は勉強してきていない。バカだ」と言った趣旨の事を平気で言う年配者がいるらしいけど「お前自身はどうなの?」と思うし、あなたが勉強していると言うのなら「先にあなたと同世代の人に言えば?大人になってから勉強していない方が致命的だろう」と言ってやりたい訳です。
なんて言いつつ、本当はそんな上の世代に対してはこの件についてはどうでもいいのです。
本当に言いたい相手は「ゆとり世代」なんて訳のわからないレッテルを貼られて揶揄されている若者たちへ。
君たちを揶揄している大人たちは、高村氏が指摘しているとおりの体たらくの輩がたくさんいる。気にするな!
要は「これから勉強し続ける姿勢を貫けるか」どうかが大事。
その代わり見返すだけの事をしなければならない(少なくともしようとしなければならない)ことは言うまでもないが。
今の20代や10代の若者がどれほどこの文章を読んで下さるか分かりませんが、彼らより上の世代にいる者の義務としてこの文章をupします。
20分位でさらっと文章を書こうと思いましたが、1時間以上かかってしまいました。。。
よほど頭にきているのか。。。。
金曜の夜に何しているんだか。
飲み屋さんに繰り出して2日酔いで明日を無駄にするによりは十分意義があるでしょう、きっと。
(4月2日(金)夜自宅にて)