なにか質問させてもらうと、「自分で勝手に思ってるだけなんですけど・・」と断って考えながら、言葉をゆっくり選んで真剣に話をしてくれるのが、纐纈さんとのファーストコンタクトで印

象的だったところです。再び彼女のコメントに戻ります。「大久保カメラマンもそうなんですが、カメラを回す以外の時間も重要で、撮ることを目的に通わせていただいてるんだけれど、そ

れ以外の時間に私達もだけど、撮られる人も、私達を理解したいと思ってるわけですよね。どんな人間なのか。必ず、カメラを介していると、相手は何を撮ろうとしているのか、それに応えよ

うとするものなんですね。相互関係で映像は成り立っていると思うんです。どんな人で、食べ物は何が好きかとか、そういうことまで、映像を撮っていくと出てくるのかもしれない

「映像って、カメラがその時間その空間にあることですよね。それを、過ぎ去った時間を映像でどう表現するかというのが、凄く難しくて。話を聞いて、とか資料を出すとか、いろいろ方法が

あると思うんですけど、あの手この手というか、“できることしよう”と。今思えば、完成して肩から力が抜けたもしれないんですが、過去の時間ってそうやって、情報として提示して理解し

てもらうのも大切なんですけど、それと同時に、その人の姿に現れたり、手の表情に現れたり、する。過去の時間はそういうところに蓄積されてる。そういうもので、見る側の人自身が受けて

来た痛みと合わさって、ああそうか・・ってなるもんなんだろうなと。感じるっていうことを
映像でどれくらいしてもらえるかが重要なんだなと思ってるんです。」(つづく)

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